体験記 タッチャン様投稿

体験記 タッチャン様投稿

平成12年3月6日、7月25日、8月21日
目 次   ホーム



平成12年1月29日

はじめまして。私は30代の男性です。
私の父は1998年末に脳出血で入院しました。その一年前に一過性の軽い脳梗塞と診断され薬を処方されていたのですが、しばらく服用した後勝手に止めていたと後から知って、しっかり見ておくべきだった反省しました。

幸い現在は左手と左足に若干の麻痺がある程度で、自分の事はほとんど自分でできますが、薬をのみ続けていればなと今更ながらに思います。

入院中にさまざまな患者さんと知り合い、父の場合はかなりラッキーだったと思います。
術後しばらくは意味不明な事を口走ったり、昼夜逆転の生活になったりしましたが日が経つにつれ症状は薄らぎ、現在は正常になりました。

主治医に呼ばれ左半身不髄と両目のそれぞれ左半分は視力を失うと宣告されたことを思えば現在は夢のようではありますが、一人にしておく事はできません。
今回の入院騒ぎで僕なりに経験した事、教わった事感じた事などをこれから少しずつ書かせて頂きます。
今回はこの辺で    それではまた



3月6日
シゲささん、お久しぶりです。
今回は少し詳しく書かせて頂きます。父はめまいを訴え救急診療で即日入院となったのですが、医者からは"手術を勧めるがいますぐにはできない(血が固まりにくい状態だといわれました)"との事で四日目に執刀されました。救急診療の最中は特に痛みは訴えなかったのですが、病室へ入ってからは激しく痛がり、暴れ、わがままを言いそれは大変でした。鎮痛剤は投与できないとの事でなだめるのに必死でした。

1時間の予定といわれた手術は結局4時間にも及び、その間はさまざまな事が脳裏をよぎりました。幸い成功との事でほっとしたのもつかの間、意識が戻ると今度は別の不安が表れました。言葉として日本語としては成立していても全然関係の無い事を話したり、暴言を吐いたり何がなんだかわからない状態でした。看護婦さんから時間が経てば元に戻るというような事をいわれたのですが、とてもそうは思えないような印象でした。左半身はほとんど動かず、少しベッドを起こすだけで"目が回る"と騒ぎおむつを徹底的に嫌がり、トイレへ連れて行けと繰り返していました。病院からは付き添いの必要はないとの事でしたが、おむつを外し便を手でつかんだりするので結局徹夜で付き添うことになりました。

この先どうなるのだろうかという不安を持つ間もなく大きな変化が現れたのは術後半月程してからでした。父の容体が急変したとの知らせが入り急いで病院へ駆けつけるとICUに行ったとの事。意識はほとんど無く、呼びかけに反応しなくなっていました。病院から親族に連絡してくださいといわれ、僕はナースステーションに呼ばれました。主治医から"この状態ではMRIにかける事ができないから断定はできないが、恐らく脳幹部に梗塞を起こしたのではないか”と言われました。呼吸が弱まり、血圧、血糖値などの数字が限りなく最悪の事態に向かっていました。余談ですがICUに行ったと僕に教えてくれた同室に入院していたご主人の付き添いをしていた奥さんの、なんとなく嬉しそうだった顔が忘れられません。

明日仕事が早いので今回はこの辺にさせて頂きます。また折りを見て僕の経験を書き込ませて頂きますのでよろしくお願いします。


7/25
どうもたいへんご無沙汰してすいません。

個室に移された父はほとんど意識のないまま、人工呼吸器と自動血圧計の音が響くだけの部屋で時間だけが過ぎてゆく、そんな状態でした。
親戚中が見守る中1時間おきぐらいに看護婦さんの巡回が繰り返されましたが、小康状態の様なので皆様にはお引取り願い僕と兄だけで病室にいました。
深夜2時ごろ看護婦さんの呼びかけに眉毛のあたりが少し反応したように見え、僕は大きな声で”オイ、オイ”と叫びながら体をゆすってやると、父は意識を取り戻しました。
意識回復と同時に血圧その他の数値が好転し、二日後ICUを出ることができました。

一般病室に移ってからの父は脳みそのほうもかなり回復し意味不明な発言は大幅に減りました。昼夜逆転の生活は変わりませんでしたが少しずつ改善傾向にあり付き添う僕らの負担も減ってきました。
その後、毎日毎日大きな変化もなく一日45分のリハビリ以外は病室でテレビを見たり居眠りをしたりの繰り返しで、そろそろ今後のことを考えるようにと病院のほうからいわれ、一度自宅へ帰ってみて(外泊)はとのこと。なんの準備も無く段差だらけの家でどうしたものかと思いましたが、苦労をして車椅子に乗せ家に連れ帰りました。
家へ帰る道すがら景色に見覚えはあるか、今どこを走っているか、自分のうちはわかるかなどと質問してやりましたがほとんど覚えていないようで、ダメージの大きさを改めて感じました。
 入院以来一度も風呂へ入っていないので入れてやろうと思いましたが、抱きかかえても怖がるばかりで無理でした。環境が変われば刺激になると聞き車椅子に乗せスーパーに言ったり、発症前によく走った道をとおったり何とか記憶を戻してやろうとしましたがうまくいきませんでした。少しずつ少しずつと自分に言い聞かせながらじっくり時間をかけて一歩ずつ進んでいこうと思いました。

しばらくしてついに退院ということになり今後について看護婦さんやほかの患者の付き添いさんにいろいろ聞くうち、少し離れたところに評判の温泉リハビリ病院があるということを聞きました。父が居た病院の同病患者のほとんどがそこへ行くと聞き、うちも申し込みました。
 そこは浴室に温泉が引いてあり毎朝温浴療法をするそうで、午後からは1時間程度のリハビリをやり社会復帰を目指していくそうです。その病院に移るまでの一週間は結構大変でしたが風呂へは一度だけ入れてやりました。

 温泉病院に移って老若男女を問わない患者の多さにびっくりしました。脳梗塞脳出血、くも膜下などの後遺症で皆さんが必死に努力する姿を見て、リハビリにあまり積極的でなかった父にもライバル意識がでてきたようで自分からすすんで動くようになりました。
 半年の期限付きですが毎週末自宅外泊でだんだんと発症前の生活に慣れてゆきました。

現在はほぼ自分のことは自分でできるようになり手がかかるということはなくなりました。メデタシメデタシ!となるところですが、実は今にいたるまでに大きな山が3回ありました。
まず一度目は前述した意識低下でICUへ運ばれたときです。そして二度目は温泉病院へ転院後二ヶ月が過ぎようとしたころでした。朝方に癲癇性の痙攣を起こし再びICUへ運ばれました。同室の患者さんが”ベッドが異常にガタガタする”とナースコールをし、看護婦が駆けつけるとベッドは血の海、舌をかなり噛んでいたということでした。翌朝病院から電話があり慌てて駆けつけました。本人は失神していたそうで記憶はまったく無いといっています。一週間後一般病室へ帰りました。お医者さんの話によると痙攣止めは処方していなかったとのこと、最初の病院の薬は全部持っていって話をしたはずなのにと少し不愉快な思いをしました。
 そして三度目はその三ヵ月後外泊中の自宅でまた痙攣が起き、救急車を要請大騒ぎになりました。最初の市民病院に運ばれ看護婦さんたちがびっくりしていました。
医者によれば脳の手術をするとどうしても痙攣の恐れはあるとのこと。痙攣止めを増やして様子を見るという話でした。

   で退院に至るわけですが、うちの父の場合大きな山を越えるごとに劇的な回復を見せました。脳の解明はまだ未知数の部分が多く、あきらめていた部分が突然快方に向かうということもあるとほかの患者さんの付き添いさんや、克服された方に聞きました。

 以上 乱文で申し訳ありませんが何かお役に立てればと思い書かせていただきました。また何か思い出したり勉強したりすることがあればアップします。
皆様明日を信じてがんばってください。ホームページはちょくちょく覗かせていただきます。

              それでは


8/21
こんにちは。
 時間がないので簡単に書かせていただきます。
父の入院でいろんな患者さんを見てきましたが、大きく分けると必死に社会復帰目指して努力するタイプと、諦めてもうどうでもいいやと言うタイプに分かれるような気がします。うちの父もどちらかと言えば後者で、なだめたり叱ったりして何とかモチベーションを高めています。もともと出不精で外を歩くのを嫌がり、努力する姿を見られたくないといって車で少し離れたところまで連れて行くという日々が続いています。

 話は変わってあるラジオ放送で普段は誰かが回りにいる脳梗塞の寝たきり患者さんが一人きりだったときに、自宅が火事になり自分ひとりで飛び起きて逃げ出したと言う話を聞きました。父も僕らが周りで世話を焼く時と、自分ひとりしかいないとき(ほんとは隠れて見ています)とでは動きが違うと前から感じていました。ある程度は突き放すことも必要なのかなとも思います。

 僕の友達や知り合いと話をすると脳血管障害のなんと多いことかと思います。介護にあたる皆様もご自愛いただければと強く思います。

 脈絡のない話で申し訳ありませんがまた書かせていただきます。奇跡を信じてください。


目 次   ホーム
前 回   次 回