「転生と地球」高木善之著より

「転生と地球」高木善之著より

平成12年 2月20日
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「転生と地球」高木善之著より

1997年の秋、東京晴海埠頭で高木善之氏の講演がありその時に買った本の中から抜粋しました。その時にはまだ脳出血で生死を彷徨(さまよ)う人生など想像だにしていませんでしたが、いつか書いたようにこういう本(話)にも興味がありましたから一冊買ってきていたのです。まさか自分が倒れ、障害者になってもう一度目を通すとは、お釈迦様でも知らなかったはずです。

高木氏について簡単に触れると、34歳の時交通事故で臨死体験をし、その体験を通して私たちが大人になる過程で疑問に思いながら敢えて解決してこなかった、”人間は何のために生きるのか?”(極論すれば)という少年時代からの疑問への回答を得、サラリーマンとしての地位を捨て地球環境問題をテーマに人の生きる道(生き方)を説く。と言うような人で、3000回の講演を目指して全国各地を回って講演をしている人なのでご存じの方も多いと思います。

その本の中で交通事故での入院生活を通して思ったこと、考えたこと、感じたこと、に触れている箇所がありますが、障害者になった今その部分を読み返してみると非常に参考になることがあります。本当はそれ以降にも大変興味を引かれる部分がありますが、とりあえずは入院中と退院の箇所を抜書きし、感想など書いてみました。

車椅子(P152〜)
予想外の快復に周りも驚いた。
そんなある日、医者に言われた。
「車椅子に乗りますか」
待ちに待った一言!この日をどれほど待っていたことか。
なぜならば、毎日の生活でのひとコマ。
ナースコールを押して「あのお・・・・トイレ・・・・お願いします・・・・」。
「えっ?何ですか?もう一度大きな声で言ってください!」
「トイレ、お願いします」
「トイレ?どっちですか?大ですか、小ですか?」
「・・・・大・・・です」
「うんこですか、いま忙しいですからちょっと我慢してください!」
「・・・・はい・・・・」
ここは四人部屋、面会の人もいるのに。
ずっと我慢していて、やっとナースコールを押したのに。
こうしたやり取りも恥ずかしいが、実際にしもの世話をしてもらうのはもっと恥ずかしい。
車椅子に乗れることで一番嬉しかったのは、トイレに自分で行けることだった。
・・・云々』


私もこの気持ちが分かります。看護婦さんがトイレまで付き添ってきて黙っていると独りではできないと思うのでしょう、トイレの中まで当然に入ってきます。
たとえ不自由な体でも何とか自分でやろうとするものです。「自分で出来るからもうちょっとしたら来てください」といって看護婦さんに頼んだこともしばしばありました。なかなか一人では放っておけないのか渋っていましたが。

聞くと言うこと(P154〜)
・・・・・云々
「淋しい、辛い、死んでしまいたい」という言葉に、「そんなことはない」とか「それはひがみ」とか言っても仕方がないことが分かった。
聞くだけでいいのだ。その人はそれで満足するのだ。最後に「うまく行きますよ」と声をかけると「ありがとう、ありがとう」と涙ぐむ。
私も「ありがとう」と言って別れる。そうして何人か亡くなった。
・・・・・云々
人は話したいのだ。聞いてほしいのだ。そして分かってほしいのだ。多くの場合、求めているのは答えではなく、親身に聞いてくれる友達がほしいのだ。
身よりのない不安、理解してくれる人のいない淋しさを聞いてほしいのだ。
多くの場合、ただ黙って、聞いてあげるだけでいいのだ。』

障害者になってみて初めて実感として分かる気がします。病気で寝ているときにも同じ様な気持ちになると思うけれど、”障害者”になるとある意味では取り返しのつかないところに来てしまっているのですが、その思いを聞いてくれる人がいることが大事でしょう。他人事みたいに言っていますが。
「ただ黙って、聞いてあげるだけでいいのだ。」  聞いてもらえれば、問題は解決しなくても気持ちが少しでも晴れます(落ち着く)。

人はつながりを求めている(P157〜)
・・・・・云々
患者さんの多くは病気よりも孤独に苦しんでいる。
死ぬことよりも、独りで死んでいくこと、だれにも知られないで死んでいくことの方が怖いのだ。見守ってくれる人、たとえ自分が死にゆくときも見守ってくれる人が必要なのだ。人はつながりを求めているのだ。
現状の社会は、世代ごとに別々の家に住み、各人が別々に暮らし、孤独を作り上げてしまった。そして競争社会という、「みんな競争相手」という殺伐とした社会を作り上げてしまった。
そして病人、老人などの弱い立場の人々を家族や近所で助け合うのではなく、逆に家庭から追い出し社会から締め出し、お金や税金で隔離しながら面倒を見ようと言う社会を作り出してしまっている。
こういう形での福祉はありえない。もっとも大切なのは「つながりといたわり、助け合い」なのだ。
・・・・・云々』
病気<孤独 死<独りぼっちの死 死んでいくこと<見守ってくれる人のいないこと そして人のつながりの大切さ。
祖父、祖母の死は自宅であった。老衰にしろ何にしろ自宅で死にたいと思うのは自然だろう。家族に見取られて逝きたいのだ。しかし現実はそれも叶わぬ夢か。
介護介護と世の中は騒いでいるが、本人にしてみれば複雑な思いだろう。

生きていることは素晴らしい!(P158〜)
このころ、毎日が感動の連続であった。
自分は長い間、この感動を忘れていたような気がする。
「何のために生きるか」、それは簡単なこと。
喜びのために、幸せのために、感動のために生きているのだ!
・・・・・云々
きっと歩けるようになる。
そして、今までできていたことがみんなできるようになる。
・・・・・云々』
何のために生きるのか 皆さんも特に若い頃考えたのではないでしょうか。そういうことを考えなくなって久しいです。が、ここに書いてあるように「喜びのため、幸せのため、感動のため」にあるとしたらチルチルミチルの青い鳥みたいですね。
  「車椅子の視線から」金子様のHP冒頭にあります。

       「つらいこともある!
        苦しいこともある!
        そして 悲しいこともいっぱいある! 
        でも 嬉しいことはもっとたくさんある!!
        だから 生きていくんだ! 
        だから 頑張るんだ!
        ああ・・・
        人生ってやつは
        なんて素晴らしいんだ!」

歩ける!(P160〜)

車椅子生活が4ヶ月くらい続いたころ、ある日、医師に「高木さん、少し歩いてみましょうか」と言われた。
「ついに!・・・・」
・・・・・云々
やがて平行棒を卒業し、松葉杖をついて歩く練習に移った。
金属装具が「ガッチャン、ガッチャン」と音を立てながら、異様な姿で歩くのだ!
周りの人が好奇の目で見るが、とにかく自分の足で歩けるのだ!
この段階になると自分でお風呂に入れるようになった。
それまでは機械の力を借り看護婦さんに洗ってもらっていたのだが、慣れたとはいえやはり恥ずかしかった。
やっと自分でお風呂に入り、自分で洗い、心からくつろげるようになったのだ。』

歩く練習を開始したときは、そして何とか歩けたときは”うれしさ”ひとしおでした。ただし装具は嬉しくありませんでしたが。歩く姿も好奇の目で見られたような? またお風呂についても全く気持ちは一緒です。ただ違うのは、退院まで洗うときにはヘルパーさんが手伝ってくれたことです。

外泊(P161〜)

そしてついに「外泊していいですよ」と言われた!
ふつう外泊とは自宅以外で泊まることだが、病院では逆に、自宅で泊まることを外泊という。外泊許可は退院の可能性が見えてきたことを意味する!
十ヶ月ぶりに自宅に帰った!
・・・・・云々』

外泊することは楽しみだったが、こんな状態で外泊するなんてまだ早いと感じたが、強制に近かった?かも。それだけ早く社会生活に適用させようとしていた医師に感謝するが。

退院(P162〜)

・・・・・云々』

退院は社会復帰の準備でもあるのだが・・

―著者 高木善之 「転生と地球 価値観の転換へのメッセージ」 PHP研究所 より―





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