トイレで苦労する

トイレで苦労する

平成12年 2月13日
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あのベッドに結わえて下半身から管が出ていて、ビニ ール袋(頑丈そうな)に液体(お小水)を貯めるようになっているモノ。”バルーン”というらしいのですが。 よく見かけます。たいてい体の自由の効かない患者はお世話になりますよね。私も例外なくあのお世話になっていたらしいのです。

でも私はあの袋のお世話になった記憶がほとんどなく、また何の感覚もなかったです。確かにあれがベッドか ら垂れ下がっていた記憶はある?のですが・・その液体が出ている(出している)状態を 知らないんです。半分以上記憶喪失状態でしたから、いつ液体が管を通って行ったの か、そして”ああスッキリした”という快感の記憶が全くないのです。 ごく自然に始まり、そして終わっていたのです。私の知らない間に。 そして何時それが必要無くなったのかも知らないウチに、気が付けば無か ったのです。まあ、きっと自分の頭の中ではそれどころではない状態だったのでしょう。そのうちに大部屋に移されました。

大部屋に引っ越して少し記憶喪失状態が戻ると同時に、トイレというもの(事)がクローズアップされてきたのです。 どちらかというと大の方がデキズニ(誠に申し訳ない。暫くはこういう話が続きます ので)苦しみました。もうベッドにいるときに考えるのは、”何時トイレに行こうか、まだ チョット早いか?モウチョット我慢するかア”みたいなことでした。そして時間(そろそろイイかなと思うとき)になるとトイレに車椅子 で行き(このころはまだ最初の病院でリハビリもまだろくにやって居らず、頭もモウ ロウとしていた記憶あり)、奮闘努力するも空しく、それも20〜30分も費やして 何の成果もなく家内共々病室に戻ってくる毎日でした。

今思うと看護婦さんが ”お通じありましたか?”と毎朝体温を測りながら効くのですが、私は何気なく、と 言うより勘違いをして”ええありました”と応えていたのでした。つまり”大”は ちゃんと出来ましたか(出ましたか)、と聞いているのに”小”は出ましたか、とま るっきり取り違えて返事をしていたのです。右耳(麻痺している側の耳)が良く聞こえないのと、それ以上に人の言うことに素直に相槌をうつ癖(と言っても面倒くさくて首を縦に振る方が楽だったので)がそうさせたのでした。つまり頭では考えてはいなかったのです。

ある時腹が張るので家内にその話をしたところ、私が間違った返事をしていたことが分かりました。と言ってもどうすることも出来ずただ奮闘努力しかありませんでしたが、毎日のトイレ通いに、 頑張った甲斐があり、何時からか自分で出来るようになりました。 それは日々妻がトイレの中まで付き添い、私も一種の安堵感に満たされて落ち着いて時を過ごすことが出来たからだと思います。が、車椅子から便座 への移動は一苦労でしたし、左手でペーパーを扱うのも慣れないこと故苦労しました。まだ装具をしての練習といったものもなく車椅子から便座に移るときには”俺は一生こうしてトイレをしなくちゃあいけないのか”と思いました。

暫く(1月ほど)してから病院を移りましたが、幸いにもこのときにはもう自分の事(トイレ)は自分で 出来るようになっていたと思います。そして移転した病院の看護婦さんは優しく美人で力持ち・・ と言う人が多く移転して来たこの病院が好きになりそうでした。

しかし、しかしであります。看護婦さんが途中から変わったのです。今までの看護婦 さんより身分の高い(一ランクくらいは最低でも上の)人に変わったのです。 身長、体重とも今までの人よりも何ランクも下なのに今度の人の方が偉いのです。それは看護婦さん同士の会話(言葉使い)を聞けばすぐに分かります。

今までの看護婦さんは”お小水”のことには殆ど触れず、私もそれ が当然と思っていました。出たくなったらヤル(排尿する)という私にとってもごく 当たり前の振る舞いがなんと否定されたのです。”何時お小水をしましたか””今朝 から何時間経ちますが、お小水はまだですか””検査をしますからお小水をこれ(紙 コップ)にとって下さい””もう何時間も経ちます。お小水を取りますよ” 「この 看護婦さんは何だ、小水小水って人の気になることを云うな!出たいモノも出なくな っちゃうぜ。」と思っていたら本当に出なくなっちゃったではありませんか。それでなくと も人より神経が細やかに出来ていてシッコも人が居ると出ないのに、そういうことを 云われるとますます出なくなっちゃうではないかと、もう最悪でした。

私が思うには、シッコはしたくなったときにやれば良く何も強制されて、しかも何時間経ったからもう出る頃だとか、出なければおかしいなどと驚かされて出るものでもない。が、ついには自分では出来なくなってしまいました。もう二度と看護婦さんのお世 話にならないゾと思っていたのに管をあそこに通して小水を出して頂くなんて(一度だけ小水を出していただいたことがありましたが、もう二度とはお世話にはならないぞと云う固い決意でしたが)・・・ その上管を通したときの感触が看護婦さんの上手い下手があり、ヤラレル立場になら ないと分からないとは思うのですが、下手な人?がヤルと痛いのです。その後の残尿感が気 持ちが悪いのです。そして一回やると今度は癖になるからと言うので、自分で小水を する分にはジャンジャンやっていいのですが、看護婦さんからは最低5〜6時間は管 を通しての小水は出来ません(してもらえない)。それでイイじゃないか、とお思い でしょう。でも一回管を通すと自然には排尿したくてもなかなか出来ないからイヤなの です。小水はしたいけど小水が出ないし、かといって看護婦さんからはさっきやって いただいたから頼んでもやってくれないし・・で・我慢するしかない。これも病は気から、つまり精神的な問題ではないかとは思うのですが、出ないとなったら誰がなんと言おうと出なくなっちゃうのです。

まあそれでも看護婦さんには何回と無くお世話になりましたが、 いつの間にか自分の意志で”小水”する事が出来るようになりました。たぶんそれ は”大”よりも数段と難易度は高いのと違いますか。もっとも出なくなった原因はハッキリとしておきたいんですが・・自分に過失は無いんだゾ、シッコシッコと脅かしたのは看護婦さん、あなたですゾ、それまではちゃんと出ていたんだから、と。

気さくで話しやすかったOTの女性士に、「小水がどうしても 上手くできなくて、何かいい方法ありますか」ってリハビリの時聞いたら「こういうふう にお腹を押さえてごらん(下っ腹を揉むようにして)。それでもダメだったら最終的には小水用の袋(?)を体に 装着して生活するようになるけど、そんなのつけちゃえばそんなに分からないし平気 平気」

 「・〇×▲・・・・全然平気じゃあない!」

と心の中で叫んだものです。そんな事に ナルのはイヤだという思いもあり、奮闘努力の日が続きましたっけ。 たったこれだけのことをするのに(小水)大騒ぎ、でも笑い事じゃなかった。頭の中は一日中そのことでいっぱいでした。今苦 しんでいる人にも”努力してください”というより良い言葉を思い付かないのです。 しかし本当に小水には憔悴(洒落ではなく)した日々でしたし、毎日が看護婦さんと顔を合わせ「小水は?」と言われることが恐怖でした。そしてトイレをすると云 うこと(出来ること)は病人にとっては一大事なのだ、とあらためて思った次第です。勿論”大”も”小”も全く同じ事です。

「ありがとう、ああ、本当にありがとう」 ある日、隣のトイレから聞こえてくるお爺さんの感謝のウメキ声か溜息か。付き添っているのは娘さんか嫁さんかは分からないが、トイレでやっと出来た歓喜。その気持ちが痛いほど分かり、その人たちの声が去るまでジッと黙って座っていた私でした。






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