体験記T(下北のアンちゃん様投稿)

体験記T(下北のアンちゃん様投稿)

平成12年 2月 1日
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−−体験記 そのT−−  (発病1994年8月、39歳直前の時)

入院中のあれこれ(入院生活編)

区立幼・小・中〜付属高・その大・英文科 。秋葉原の店頭売り子&ジャストバブル期に 急成長し外郭(郊外)店の店長&副店長。 後本社仕入れ課長含め苦節15年、バブル弾け 直前に当時の大お得意様のしがない貿易会社輸出入部にヘッドハントされ一気に給料3倍強へ。 2〜4日の短期東南アジア単独出帳月3〜4回にもめげず1年チョイでパスポート1冊埋め尽くす。 1994年盛夏の帰国後自宅にて後頭部片側(右)の強烈な偏頭痛で深夜アスピリンのみに 起きる時左方向へ崩れ自立できず。 そのまま、救急車へ(ものすごく乗り心地悪かった鮮明な記憶有るにもかかわらず)、 愚妻に再会したのがなぜか月が明けた9月初旬。 この間の病院リハや退院時、その後の経過は多々有り。 現役時代には考えも及ばなかった、”弱い者には優しく”のあたりまえの思い を強くしたのもこの頃でした。(アア〜〜情けなや) 現在、傷害年金生活です。 もらえる物はせっかくですから何でももらいましょう(子供の学資補助、車の燃料費補助、 等など)勿論微々たる再就職活動しましたが・・・・・・・・ ・・・・・ ?!デス? 出来れば自分も国民の納税義務を果たしたいのも山々ですが、現状ではなかなか?! (もっとうまく写植してお送りできれば良いのですが。 メンゴ) 先にお話したように”障害者多少動けて外が良い”てな生活してますので 良く言うと”住所確定無職”の放浪者の様ですので正直言ってなかなか腰落ち 着けて書く時間が取れず支離滅裂の構成、内容の事とお詫びしますがお許しを!!! 入院中はとかく右見ても左見ても病人ばかりでごくたまに夜中にわめき出す人や亡くなりそう (危篤状態に成ってしまって)で個室に移される人や、その御家族のお立ち会い、 ”ねーチャン(看護婦さん)酒くれ”とわめく終電後に駅で転んで骨折入院した 酔っ払い等わりと話題には事欠かない病院ですが(一部表現の不適切が在れば無視して 下さい)、自分はそれなりに楽しい 否 楽しめる 入院生活しました。 現在不幸にも入院中で、幸いにもこれを読める状況にある人は少し参考にされては・・・。?! 自分のモットー その 1)目先(近未来)の目標を掲げよう 自分の状況(病状)を客観的に見てどれくらい回復したら 退院させてもらえそうか・・・とか 自分の場合は、PTリハ(足)初日に、           ”いくらがんばっても      この病気にならなかった事(現役時)のようにはならんぞ!” と、当時同じ年の理学療法士にはっきり言われて 少し吹っ切れたもの  在りました。                     現在療養中の人やリハ中の人には厳しい事ですのでやはり参考にしない ほうが良い かな。 話を戻して、自分の過去の少ない病院経験(ヘルニア ・腹膜炎・ 学級閉鎖時の集団風邪)からすると手術1回もしくは痛い注射1本で 即日とは行かないまでも現代医学で数週間で現役復帰状態になる事疑わ なかったのに、ナースコール押せない左手 、目の前のそれをにぎる事も           出来ず寝返り一つ出来ない患測(自分の場合は左麻痺)。 右へ寝返っても付いてこない不思議な左??? それにあのPTのきつい一言。少し年貢を納めたって感じ。           そこで近未来(退院時)の目標はあのE美人ナースとの恵比寿ガーデン プレース(入院時に完成した)デートの約束取り付けました。 "よーしそれにはまず足だ。" 決心時みたいにLL(金属製の股関節まで在るあの長いやつ)と4点杖 じゃかっこ悪いでしょ。なんとか直立2足歩行で!と思うジャン。   でも当時ヤット直立できただけでした。 あのはっきり物言うPTに ”どうだ久しぶりに立った気分は”と冷やかされながら 今に見ていろ俺だって(チョット古い比喩かな ?) と思う自分が在りました。 そのせいでは無いだろうが、おかげで現在杖なし装具なし(担当ドク  ターはSL{プラスチック製の短装具}か足底装具{鳶の地下足袋状の 足首から下の部分のような布製装具})は付けろと指導されて言るに もかかわらず、自主卒業しています。 それはそれでなれちゃえばどってこと無いもんですよ。 短時間や短距離の移動は健常者と一緒の格好で見栄張ってます。 が駆け込み乗車は出来ません。 実際シゲさ 様も車時、ちょっと降りて公衆トイレや缶コーヒー買い、 いちいち杖付きますか? 自分は車に寝かせたままです。 勿論、富士山5号目や箱根神社時には念のため携帯しました。 といっても障害者集団の目印として程度でしたが。

リハビリ編

前回のアホ話は1)入院中のあれこれ入院生活編かベッドサイド編てとこでしたが、 今回は思い付きで勝手に入院中の”リハビリ”編にでもしときますか!? 思い付きで羅列しますのでいつもにも増して読み難い事はご勘弁を!!! 1: チャレンジ精神を持とう 割と早い時機に(昏睡状態=自分は昏睡してたなんてちっとも 思ってなかったが救急で搬送されてから4日目にオテントさん 拝めたのはやはりはた目には昏睡してたって言うのでしょうか?) ンなわけで、その間いつの間にか体中”刺し物”(鼻から酸素 チュウーブ、腕には点滴チューブ、下半身は小水排出用の バルーンチューブ)だらけでベッドに横たわる実験人間の ようでした。            目覚めて、すぐ何か(食べ物)クレ とナースにリクエストしたら嚥下テスト (飲み込み)と称して砕いた氷枕用の角氷ひとかけら。 ドクター立ち会いでうまく2〜3個食えたら明日から流動食と、のたまいや がった。 この流動食っていうのがまた癖もんで、また刺し物(酸素を通してない 空いているほうの鼻からチューブ入れて点滴のような状態で点滴パック におかゆ状の米のとぎ汁みたいの入れて(ニュウートンの法則に従った) 自然落下で胃に流し込むだけ、これから数日してやっと半固形食にします と来たもんだ・・・・。 ヤット鼻から1本抜けてまともな物やと思いきや アマイ!!甘かった、 病院の半固形食=ゼリー食だったのだ。 しかも味も甘い 点滴へ減らした分カロリー補う為甘いんだと・・・。 自分の考えも甘かった。 これが半端な量じゃない、(あえて企業名出すが)スーパーで売られている 子供用プッチンプリンの味を 寒天だけの乳白色にしてそれも劇甘にして 加えて更に350mlのビール缶位の量 2ビン(否2カップ)。 HELP これが朝・昼・晩〜〜〜 イヤミカ・拷問か・達の悪いジョークか ? 少し美人Eに泣きごと言ったら下北のアンちゃんは少し血圧高いみたい だから、”給湯室のお水やお茶なんかは御自由に!”と来たもんだ。 そうじゃないだろ。 歯応えの有る食い物(せんべいとは言わないけど)・・・・ シー〜〜〜〜〜〜〜ン・・・・・・。 解ったよ(全然納得できないけど)出された物食って水分で満たされない腹 膨らましてろってことなんだ。 でもこっちはトイレにも行けない身なんてことチクチク愚痴ったら   "いつでもナースコールして" なんてお優しい裏声で囁くもんだから愚かな自分は思わず   "は〜〜〜〜い " (バカ) 目覚め後、数日でリハ始めるって事に成って1〜2はPT・OT 訓練師がベッドサイドまで様子見に来てくれてたっけ。 自分は出前って呼んでましたが。 当然訓練はどこの病院も訓練室ですのでホイールチェアー (車椅子)で搬送して下さいました。 その初日にPTにあの衝撃発言され今で言う”切れました”。 冗談じゃない、絶対100メートル20秒以下で走ってやるとまでは 思わないまでも、ナンパできてデートの一つくらい出来るように とは、正直思いました。 愚妻に密かに口の軽そうな(密)担当ドクター(自分にはその頃 インターン含め3人付いていました) に問いただした所 ”う〜〜〜〜〜〜ンもっと長かったかな う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン車椅子は必需品かも?” てな具合。絶句 これでやる気を掻きたてられました。 リハ室では新人で当時多分最年少ノ39になったばっかり。 周りははっきり言ってジイさん婆さんばっかり みんなに二言目には”若いから、大丈夫”とすぐ冷やかされ 今となってはそれがぬか喜びである事を思い知らされ 安易な気休め言葉はあらゆる病気の患者達にとって暴言苦言 である事が 理解できました。 健常者はすぐ”がんばって”というが何をどうがんばれと言うのか 具体的に指示してくれと聴きたくなりませんか? =支離滅裂なぼやきなので少し頭冷やして続き改めます=

続リハビリ編

前回は(頭冷やす時)最年少だったかも、まででしたよね。 当初のチャレンジ精神・・・・から脱線しますが院内リハの事を少し。 当然の事のように、”直立二束歩行”できるそれだけでスーパーマン のように見える健常者達。こっちはやっと来週LL(股関節まで有る長い 金属製でひざの曲げ伸ばし固定フックあるやつ)装具作ろうかっ てなレベル。こいつを10分以上かかって装着して平行棒の間に 乳母車(車椅子)入れて健側腕1本の腕力でブルブルしながら やっと”直立2足立ち”し、あのPTの迷言(?)を耳にしたわけでした。 OTはひたすら曲げ伸ばしてもらうだけで、自由意志では ヘソ下を押さえるのみ。 幸いにもグーで固まってる事はなかった。 従って、作業療法士に5指開いてもらえばゴムボール力加減は抜きにして 掴めた。 が 決して離れようとはしなかった。この悔しい状況は、 リハを終了(卒業)、自分らは皮肉って強制退学(わずかずつでも改善の期待が持て そうにないと患者・療法士共に暗黙に了解)しただろう時(患者はドンドン増えるのだから) 早目にチェックアウト(退院)してもらって外来に回し、そこそこADL(日常生活動作) ゆっくりでも出来るようになった時点で外来リハも打ち切る。この流れは近年徐々に 早まってきた様に思うのは自分だけでしょうか??? 早目に退院して動けるようになってもらう為にも休日(病院業務休みの日)の自主リハ は欠かしてくれませんでしたので、やる気が有れば、否無くても休日の当直医監督の元に (実際は呼びに来るだけで)自主トレ見てる訳でも指導してくれる訳でもないが一人孤独に 平行棒内を鎖のつながれた猿かクマのようにクルクル巡回してるだけの日々が続きました。 ここで見栄張りアンちゃんは健側補助無しで・・・・ なんてチラッと思っちゃいけな かったのに、瞬間夢見て安易な方向転換した瞬間こけて、床をキスしてた。 幸いにも、患側から倒れなかったので更に外科に係る事は無かった。 どうしても健康な時のイメージが離れ難いので皆さん自分の稼動範囲を再認識し初期の 段階は特に過剰に期待するのは止めましょう。{教訓} でも悪い事に先ほどの当直師は医局で・・・。銃で撃たれた犯人が立ち上がるより遅く 乳母車に戻り安堵した恐怖の(自主トレの)1日でした。 その後のメニューは皆さんもやっておられるでしょう 砂袋またぎ歩き・ひざ立ち・ ステップ立ち・装具着脱 等などでした。 OTはボール掴み・輪投げ(というより輪掛け)・補助してもらっての片から先の 間接部中心の動き(具体的には片回し・肘の屈曲しんてん・手首と5指のそれ)でした。 が当時から、早期退学は目に見えてました。 しかし転倒にもめげず足の方は、そこそこの進展を見せ数週間でLLから SL(樹脂製の膝下短装具)に進級できました。 この時点で、杖付きながら 短装具をズボンのすそ下に隠せば見た目は一般人です。 そこでまた欲が出て何とか”杖”を・・・と思い無い頭で勝手に考えたのが ”杖突き回数を減らしていずれ杖抜きだ” でした。 この辺で追い出され(退院)ました。{発症後6ヶ月} その為にまず 1)健側がわの体重移動をソフトに(軽く突く と言うより 着く 感じ)をイメージしました。 幸いにも、この辺で担当医より”樹脂装具だと靴履き難いし患側に合わせたサイズだと 健側サイズ大きすぎるだろ”なんて気使ってもらって足底装具(そくていそうぐ)なるもの 進められて飛びつきました。 すでにご存知な事と思いますが一応=左官さんや人足さんが着用するような地下足袋スタイル の足グビ部分きつく巻く布製装具です。 我々のような患者は麻痺後直立2足歩行するまでにまずひざ折れ・ くるぶし折れは鬼門ですよね。あくまで自分の経験上ひざ折れ少し卒業時点でSLに進級し 本人の様子見ながら足底装具ってな感じで進級してきました。 2)次に、”着く回数を半分”を勝手な目標にしました。 これは慣れるのに苦労しましたが、結果的にこれをクリヤー 出来た事が現在の杖無しにつながったと思ってます。(本当) オットそこのあなた、急に俺もなんてやると、外科のお世話に なり兼ねませんよ。 まずはソフトランディング(卵を潰さないくらい)そっと突くの ではなく”着く”です。 そのうち筋が有れば、杖を引きずるようになれるはずです。 そうなればしめたもの。勇気を出して御近所は杖フリーでどうぞ。 しかしはっきり断言しますが患者皆さんが努力すれば出来るってなもんじゃ有り ませんことは言うに及ばずです。 なんせ未知の領域の病気ですから・・・・。 自分のクラスメートY氏(リハ仲間)にも右患側左健側(爆発=脳出血)で 足は全く可哀相なくらいなのに 手はビンビン(箸で大豆摘まめる)てなスーパーマン居ますし。 自分は詰まり(脳梗塞)ですが手はほぼ全廃決め込んでるくせに 現在日常生活で杖を手にする事ここしばらく忘れてました。(冗談) そういえば去年の1泊箱根旅行の時から車から置きっぱなしだったっけ? 勉強熱心なクラスメートに言わせると早期リハ開始も有るかもだが あくまで障害部位とその程度の個人差(とその後の努力程度)で 以降の状況変わってくるので 一概に比べられないとの事。 なるほど納得・・・・・・・・・。

続々リハビリ編

昨日の”軽く着く”は院内リハでしたが”着く回数を減らす”努力は 外来時からでしたので念のため。 そう言えば当初、救急(1日)〜内科(2ヶ月)へ渡り歩きリハ科(4ヶ月)の ベッドやっと空いたので転科しトータル半年で追い出されました。 内科時にベッドサイドポータブルトイレ消灯メロディーと共に終了し寝蔵に戻る時 チョットかっこつけて最短距離移動試みたら見事こけて冷たい床に寝てしまった。 不運は追い討ちを掛けるものでナースコールを唯一の右手が探っている時に無常の消灯。 廊下の非常灯が眩しく感じる位までしばらく横たわりながら無謀な行動を悔いりました。 がんばった事の一つに戻りますと・・・・・。 当時1番トランスファー(乗り移り)=どこの病院でもOT・PT時は搬送用の 乳母車(否、車椅子)から椅子やマットまたは飯台状の低床ベッドに移ってから 療法士にいじめられている事と思います。その移動はどうしてもビビッテしまうもんですが、 床で消灯を迎えるくらいの自前の思い切りのよさで当時リハ科 一アンちゃんはお上手と 言われて、が然やる気を奮い立たせました。 なぜか一つだけだけどみんなより優位に立てたように感じてうれしかった。しかし、 事実上の左全廃宣言受けてるので彼らの言うとうりプラスと、泊まっている間(入院中) の自己努力で、どこまで回復改善できるものかやってやろうじゃないか?!! てな 挑戦的気持ちであった事は否定できません。 発症する前の一般的義務教育人体医学知識として毛髪・爪・皮膚・血液 は再生(リカバー)できるが、神経関係は不可能で最高のコンディションで年間1ミリ も望めないなんて一般知識が有ったので、全廃宣言にもショックでは有ったが、 ある意味で納得してしまった。 もしかして、あの発言は自分の性格を見抜いた療法士の逆療法(ショック療法)だとしたら ご立派、表彰状ものだと今感心してます。 (しばし休憩)

退院後の状況

ある意味では欲求不満を連ねているだけ、と自己分析せざるを得ない 気分になってしまう瞬間も有りますが、住所確定無職のなせる業 とお笑い頂き、変に元気な障害者も居る、と流し読みされ百分の一でも 皆様の一助となれば幸いです。 しかるに固有名詞が入った方がより説得力有りそうですが勝手ながら 極力避けさせて頂いております。 こんな調子で良ければ、いくらでもボヤけそうです。 ハイ! 今回は自身のチェックアウト(退院)後の状況を少し・・・・。 {つれずれなるままに書きなぐって 否、乱打して(打ち殴って)いるので 多少の重複はお許し下さい。} 1994盛夏直後、救急にて搬送 3〜4日後美人ナースの元で目覚めるが刺し物だらけ 翌日からベッドサイドでリハ開始:OT/PT師が病室に出前してくれた 7日目以降は乳母車でPT/OT部屋へ出向く 2週以降の休院日より誰も付き添わない孤独な自主トレ開始 月をまたごうかと言う頃”LLでも作りましょうか !?” OKそうしてチョ 後日医療保険で全額降りたが意外と高い! LL脱着にも慣れ平行棒回遊にも飽きてきた頃、ヒザ立ち・ヒザ歩き 平行棒での砂袋またぎ歩きと少しずつ(今思えば) ハードメニュウー化してきたような?! でもOTはこれと言った顕著な進展無し、勿論後退も無し。 その頃から、何かと女性PT・OTに有る事無い事質問したり (念のためセクハラでは有りませんので) 一番嫌がる質問(何をどれだけやれば、どこまで回復できるの?)なんて 誰も答えられない嫌みな質問をひそかに”女性 師”だけにぶつけて 楽しんでいた悪魔のような泊まってるお客(入院患者)でした。  反省 後がつかえてる(次から次ぎとベッド待ち患者多い)のでそろそろ チェックアウト(退院)勧告がちらつき始めた5ヶ月目頃だったような? (注:3ヶ月頃にLLひざ上切って実質SL状態だった)が 退院チラチラSL(樹脂製短装具)のお話! OKするとさっそくフリー(装具無し)状態でのひざ折れ度チェックされ、 加えて(石膏)ギブスで柔らかいSLに変わった時の慣れ準備期間を過ごす様 処理された。といっても、(自分は足の骨折経験無いが)骨折時のいわゆる 石膏ギブスと同じ物を薄いゴム状の靴下みたいなものの上から塗りたくられ しばしうたた寝中にカチカチ。・・・ 重い・・・ 俺は囚人か? 翌週SLと御対面。これで半cm大きい靴履ける。 甘い半cmじゃ無理! でした。1センチ位大きくて紐でなく マジックテープ状(べりべりと剥がすやつ)の物が一番扱いやすかった。 購入時は裏の滑り止めにも気を配りましょう。(保温にも) サー装着しましょ その前にギブス取り、これがなんと小型チェーンソー みたいなやつ・・・。 絶句 マジックショーなんかで美女が真っ二つに切る時使う回転刃物の 手持ち版、塗りたくった簡易ギブスなので厚みが予想つかずしばしば 患側の肉切られ外科治療(バンソウコウ治療)受けてからSL装着と相成った。 軽い、動ける(というより悪い歩き方の癖、もろ出てしまう) 練習不足が もろ出て、どんな自主トレしてたの ? と チクチクいわれた初日でした。 今思えば、 モンキーウォーク:(中腰でひざや足首を肩幅から外方向に出さないで 歩くやつ、 訓練室で装具無しで訓練出来てるレベルの人は 既にやられていると推察するが、修行不足の方 が見栄張って密かに病室でなんて絶対思わない 事=外科治療のおまけが付きかねませんヨ=) と またぎ歩き:自分の宿泊地(病院)では平行棒の間の床面 に          軽く砂入れた砂袋高さ10〜15センチ程度で                        一歩間隔位に置き患側足・健側足共に 特に爪先を引っかけない様にして(早い話)また ぎ歩きするやつ。 がもう少しまともに(上手に)出来ていれば、いやみチクチク無かったのに と今更ながら 後悔 &反省。 救急・御目覚め・出前・LL・SLと来ましたね。 SLからチェックアウト(退院)までのOTは自分はひたすらワープロやって ました。 新卒後秋葉原の某電器店15年(その間免税コーナー経験)・ バブル後某貿易会社輸出入課&東南アジア営業担当でしたので 復帰後は現役時代並みに海外営業出来そうも無いので、総務より 本社社内業務の内示頂いてたので健側一本(右)でバリバリタイプ打てないと 使ってもらえそうに無いので。 少し自慢させてもらうと、現役時(発症前)分間36〜40ワードと言うと TVなどでキーパンチャーがバリバリ打ってるあのスピード位を返事の英文 考えながら打ってた妄想に近つける為 、その練習してました。 で今叩いてるキーボードなんて全然苦じゃない。 わけ! おかげでローマ字入力大得意 エッヘン・・・・・・・・・・。 加えて更に、復帰するとウィンドウズワードなんて文明の利器が有るではないか、 何、それにくっついてるのが無く子も黙る”INTERNET” やらねば ただそれだけの理由で触ったPC始めでした。 アッ昼飯忘れてた 小休止

シャバの生活

前回、チェックアウト後から住所確定無職までをサラット書こうと思ってモンキーウォーク だのまたぎ(決して昔の狩人ではない)とかに大幅脱線して相変わらず打線上手(話題豊富 と言ってほしい)なアンちゃんと級友(同病者たちに)に茶化されております。 先にもお伝えしたように、そこそこ動ける欲求不満の障害者のたわごと(悔しさやもどかし さもチラチラかいま見れる)愚文と鼻で御笑い下さりながら(あまり真剣にならず) 目を斜めに通して下さってるとすれば乱打している自分も気楽になれてもっと (ご期待には添えない)脱線に精が出そうです。(御許しを!!!) オット、救急・LL・SL・チェックアウトでしたね! いろいろあって(というより現実の自分に開き直って) 入院生活を超マイペースで(勿論模範囚ではなく)エンジョイしてしまった。 担当医・担当師さん・主任さん&その子分ナース達も一つおまけに ナイチンゲールの卵(看護学生)達よ:自分で言うのも何だが そこそこ動ける口の達者な 優良患者 だったので (STやってた人ごめんなさい) 卵達の良きモルモットであった、と自負させて下さい。 丸6ヶ月居て、追い出されました。 発症以前からこんな調子でしたので、古巣の社員達に暖かく迎えられ 本社事務勤務に復帰できました。 勿論SLプラス杖加えて更に重力による唖脱臼ぎみをかばう為三角巾で 患側(左)と一見骨折者のように吊ってました。 靴は例のバリバリ。 杖は通勤距離位(駅まで10分、電車20分、降りて10分)だったら無くても良い レベルまで見栄張り 杖着き(突きではない)歩行していましたが、 あくまで ”障害者ですよ〜〜〜ッ。” の目印として。 40(歳)ずらでも案外席譲ってくれるもんですよ。 おかげで出社時間も昼飯前出社、定刻前退社(ラッシュ避ける時間帯)まで気使わせちゃい ましたが、サラリーマン根性の悲しい性(と少し申し訳なさも加わって)で帰宅ラッシュ 後の退社時間がしばらく続きました。 そのうち世はリストラの嵐となり長期間時間差勤務でリハに目に見えた進展無さそうだし、 入院中もそこそこ給金頂いてたので、あまり甘やかし続けるとしめしも付かないしって なのが見え見えになってきて月給者から時給者に止む無く降格し当時係長から平のおまけ付き でした。(ヤムナシヤムナシ) チェックアウト後1年6ヶ月甘えさせてくれた1997初秋ついにおひまを出す(退職勧告) の日がやってきました。 当時に不況下で役員給与30%カット役員車廃止・・・・・・・ 聞こえてくると海外巡回営業がメインの輸出課 多少動けて外が良い程度ではもう甘えがたくなりやむなく了承。 そこそこ現役復帰させてくれてPCも勉強させてくれて 少ないながら貰うものもらえて、文句言えないな。 てな、物分かりの良い社員になって退職金でこのPCゲットした訳でした。 アッ 昼飯が(これは前回使ったか)その後から現状までは次回 小休止



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