2000年1月、明けましておめでとうございます。と言っても普段と何ら変わることなど無い私だが。
毎年ありきたりのことをワープロで打ち込んだ年賀状を、作るのも見るのも習慣になっているが、やっぱり一言で良いからペン書きを添えれば、年賀状を受け取る方はそれだけで差出人の温かい思いに感動するものだ。
と思って自分の書いた年賀状について振り返ってみると、ただ印刷してあるだけだ。
「まずいな・・」 考えてみれば右片麻痺だから字が上手く書けない。と言い訳を考えながら、一言ペン書きを添えるのは又の機会に譲ることにしたのだった。誰も期待なんかしていないけれど。
右利きと云うのが社会の常識になっているけれど、生まれながらの左利きの人が右利きの人と同数居ても良いはずだ。男女の比率だっておおよそ50対50じゃないか。どう考えてみても右利きが強制的に作られている。まあ、左利きを右利きに強制的に直されても別に体制に影響ないから「まあいいや!」と、普通は思う。しかし右片麻痺の私なんかは「まあいいや!」と人ごとみたいに言っておれないのだ。もし利き腕が左だったらどんなにか良いだろう。
タラ、レバの話でみっともないが、そう思う。
病院の待合室で一人黙って座っていると、少し離れたところに腰掛けている二人がひそひそ話をしているのが聞こえた。
「いやあ、麻痺が左でまだ良かったよ、右手が使えるで」
「本当だねえ、利き腕じゃあなくて良かったわ、まんまも食えるし」非難する訳じゃあないけれど、出来れば聞こえないように話して欲しいものだ。そこに妙に優越感と劣等感の世界が渦巻いて発生するのだから。
それと失語症は、圧倒的に右片麻痺だ。失語症と言っても後遺症がそうであるように個人差があるから一概には言えないが、たいてい喋るのに不自由するのは右片麻痺である。
右片麻痺と左片麻痺の割合はどうだろうか。いや別に張り合うつもりはないが。そういう統計を取ってみても面白いんじゃないかと。医者だったら、どういう時に右の脳がやられてどういう時に左の脳がやられるのか、と言うことは分かっているとは思うが、素人目にはどういった理由、影響で左右に分かれるのかちょっぴり知りたいものだ(たぶん理由などは無いだろうが)。
話が変な方向へ行ってしまったが、利き腕は生まれながらの方が自然でいい。私の少年時代みたいに左手で箸を持ち、食べ物を食べることを叱られたりする根拠もないと思う。実際祖父(父より祖父の方がこういうことには厳しかった)だって合理的理由があって叱っていたのではないはずだ。単に昔から”そういうものだ”という理由からだろう。
病気や怪我で片腕が使えなくなっても、残された方がもし利き腕だったら良いにこしたことはない。どちらでも利き腕のごとく使えるのが一番だが、たとえ利き腕でなくとも日常生活で利き腕と同じように訓練をしていれば、いざと言う時に利き腕交代もすんなりと出来る(もう遅いが・)。特に食べることと書くことは利き腕でなくてもそれなりの訓練をしておきたいものだ。私も障害者になる前、多少遊び半分で左手で物をつまんだり字を書いたりしたので、利き腕交代でもそれほど困らず、なんの抵抗もなく左をつかっていた。こんな事になるんだったらもっと真剣に左手を鍛えておけば良かったが。
話は違うがこのあいだテレビで遠藤周作物語をやっていた。竹中直人主演、竹下恵子共演で遠藤周作の一生をかいつまんで描いていたが、25,6年前の学生時代に狐狸庵(こりあん)先生として、三枚目でユニークで有名な、そして人気のある小説家だった。
その反面、テレビで触れていたように常に人の生死をキリスト教を通して描くという生真面目、真摯な作家だった。子供と散歩をしている場面では、「体の不自由な人をキョロキョロ見ないこと」と遠藤周作が息子に教えていたが、障害者にとっては実に好ましい教えだと思った。
真面目な方の小説は殆ど読んだことがないが(海と毒薬、沈黙等)、三枚目を演じる狐狸庵先生の病気、それも何種類もの病気との闘いがあったのには驚いた。
ああ言う生き方を見ると人生も、病気も、これが最悪だなんて言っていられないと、少々考えさせられた。
そして三枚目を気取っていた狐狸庵和尚の本当の姿をかいま見たような気がした。暫くは、違いの分かる「ゴールドブレンド」を飲むときは、遠藤周作を思い浮かべるだろう。
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