私は実家のお袋を連れて参加したが、何も手伝わなくても良いものだと思っていたから、ボランティアの手伝いがあると聞いて、少々当てがはずれた。いつの間にかお袋も73歳で、最近では足腰が弱って歩くのも大変だという。「無理をしなくて良いから、休んでいましょ」と言ったが、「何にもしねえわ」と言いつつお茶を入れたり、みそ汁や漬け物を用意したりと、結構忙しく動きまわっていた。
参加者はいつも出席する10名ほどと、この会の発足者の一人だというAさん、市会議員の一人、それと入院していた時の担当医師だった。
私はAさんと同席した。聞くところに依ると、私と同じく車の運転中に様態がおかしくなったので、近くのインターに車を止めた。たまたま高速ではあったが、やっぱり他の車は見えなかった。インターで暫く休んでいるうちに気を失ったそうだ。入院期間は私よりも大分長かったが、今はそう長く入院することは出来ないはず。しかし似たような話に「俺だけじゃあないんだなあ」と改めて思った。
Aさんは15年前の50歳の時だそうだ。「ああ、私は44歳で私より6歳上の時だ。人生タイミングだナア。」と思った。
話を側で聞き耳を立てて聞いていた私より五,六歳若いBさんが、「僕はお風呂の中で脳出血になって、気が付いたのは二週間くらい後だった」と話した。二週間も気が付かないなんて、驚いた。話を聞こうとしていたら、Bさんの家族が一緒に座れるテーブルが空いたと言うので、呼ばれて行ってしまった。いずれまた聞いてみよう。
こういう席だからビールが美味い。いや、こういう席でなくても、だが。
お袋は市内の女性で年齢も似通った人とよく話をしていた。年々歳をとると体中のあちらこちらが油ぎれで云うことを聞かなくなり、しまいには寝込んでしまうことにもなるが、今のところ油が残っていそうだ。人の集まりには積極的で、なかなか話も上手い。連れて来て(どっちが連れて来てもらっているのかわからないが)よかったと思う。決して障害者ではないけれど、歳をとると杖もつくし動きも鈍くなるのは仕方がないが哀しいことだと思う。
誰だって若いときには歳をとって動けなくなるなどとは考えないし、だからこそやりたいことにも挑戦できる。否、動けなくなることが分かるからこそ、好きな事にチャレンジするのか。どちらにしても私も若い。人生50年の、織田信長の世界とは違う。人生100年のゲノムの世紀だ。
職人さんが握る寿司はさすがに美味しい(と思うが、味覚をはっきりとらえられない)。寿司は酒のつまみに食べていたものだが、今は酒(ビール)がつまみか。それでも350_g2本を飲んだ。いくら酒を飲まないとはいえ正直な話あまり酔わないが、じちょうする事は平気になった。
この会の顧問的な立場のDさんは、左片麻痺であるが手品を披露してくれその場を盛り上げた。なかなか器用な人で、翌日病院の待合室に掛かっている紙でできた作品(何というのか不明)名をみると、片麻痺のDさんの名があった。
会場には市内にある地方紙が2社来て取材をしていた。私はこの新聞とは縁のないところに住んでいるが、こういうサークルにはちょくちょく取材に来るみたいである。9月に様子を見に私が初めてこの会を訪ねたときにも、ちょうど取材に来たので、如何にも会のベテランらしく写真に収まった事もある。今日はテーブルに座っていたら早速女性の取材があった。「お話を聞かせてください。どういう状況で病気になられたのですか。」私は最初こそ躊躇していたが、喋り出すと聞かれても居ないことをしゃべった。「昨日まで、本当に昨日まで一緒に笑っていたのに、今日はもう違っていたんだよ。」彼女はどういう意味なのか理解し難かったと思う。Aさんは大きく肯いたが。
帰りの車の中でお袋は充分堪能したらしく、「本当に面白かったわ。あの奥さんにも、来年も来ましょや、って言ったとこ・・。」と、結構楽しんだ様子で、ボランティアも体を泣かす程のことはなく、良い一日であった。