シゲさ運転をする

シゲさ運転をする

平成11年12月2日
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今年(平成11年)の2月に、脳出血と伴に廃車になったレガシーに換え、トヨタの「ビッツ」を購入した。私には画期的なことであった。

脳出血で倒れてから8ヶ月、私が運転するなんて誰も本気にはしなかったのも無理はない。入院しているときの様子を垣間見た人は尚更驚くだろう。
「彼はもうあの体じゃあ元に戻らない。頭もちょっとやられているみたいだ。」と、皆さん思っていらしたのでは。
だが現在こうして運転をしている。まあ、時々しかその勇姿をお目に掛ける時はないかも知れないが(未だ充電中?)。

私は車の発明、その進化は人類にとって素晴らしいことだと思う。大昔から車は存在したが、19世紀後半から本格的な車が開発されて以来、21世紀に向けてその夢は現実化されてきた。特に、今となって考えればオートマチック車の登場である。身体障害者になるズーッと以前は、オートマなんて車じゃあない、と思っていたものだ。だが改めてオートマという人間の素晴らしい発明に拍手を送りたい。それは言わずと知れた右手も右足まったく使えないのに左手、左足のみで、ほぼ普通に運転ができ、そう言う意味では限りなく普通の人と平等になったと言えるから(勿論左麻痺も同じ)。いつでも出掛けたい時に、好きな場所に行くことが出来る、という一見当たり前のことが当たり前に出来る便利さを確かに提供している。

退院してから毎月定期的に入院していた病院に診察を受けに行くが、「車はどうですか、運転していますか」と聞かれる。そのたびに、「ええ、もうちょっと」と言っては億劫がっていた。「早く運転するように頑張って」、「・・ハ・イ・・」。診察の度に同じ事を聞くので「又か・」と思ったものだ。そう言えばOTの先生も「ちっちゃい車じゃあだめよ、ドッシリしたのを買いなさい」などと言って金もないのに、励まして(?)くれた。

医師もOTも車の運転は積極的に勧め、私の方が「万が一事故ったらどうしよう。人を怪我させたらどうしよう。」なんて万が一のことばかり考え消極的になっていた。いざ車を運転してみたら、最初の一回りは馴れなくて、しかも頭、目なども上げたらキリのないことばかりが気になり、「やっぱり俺には無理かなあ」となった。1週間ほど車をそのままにしておいたがまたもや気になり、ついには自然と運転できるようになった。

運転が出来ないケースの人もいるだろうが、少なくとももし私と同じ障害者(右の片麻痺で装具を付けないと歩けない、右手も全廃だが、左手足は大丈夫)であれば必ず運転は出来ると信じて下さい。片手、片足でも車の運転は出来ることを。

私が小学生の頃は、親父は自転車モーターバイクに乗っていた。それでもあの当時は乗っている人が少なかったと思うが、其れを思うとこの時代はつくづく便利になったと思うのです。


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