| 結論が出ないのは 投稿者:シゲさ 投稿日:2004/06/01(Tue) 17:29 No.74 | |
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604年、聖徳太子制定の一七条憲法 訳文 第十七条 物事は独断で行なってはならない。必ず大衆と論じあうようにせよ。些細なことは必ずしも皆にはからなくてもよい。大事な事を論じる場合には、誤りがありはしないかと疑わなければならない。多くの人々と相談し合えば道理に適ったことを知り得る。
大事な件は衆議することにより誤りがあればこれを是正し理に適った結論を導き出せるのだから議論しなさい、と第一七条は定めていると考えられます。議論とは前提についてお互いに意見を出し合い、かつお互いの意見に錯誤や間違いがあればこれを指摘し一方では是正し、より客観手に納得のいく意見に高めて結論を出すことです。でも討論はしても結論にまで到達する話し合いは少ないと感じます。討論は互いに意見を述べ合うことであり換言すれば言葉のバトルです。バトルのままでいつまでたっても結論が出ず延々と会議が続き最終的には結論らしい結論が出ないで打ちきりになるというのが日常茶飯事ではないでしょうか。これは結論を出すのが怖いというのも理由の一つかもしれません。結論を出すには相手の意見を是として受け容れなくてはならない場合も多々あり面子がたたないので悔しく思うからでしょう。恥辱を受けるくらいなら割腹した方が潔しとする大和魂です。「俺が間違っていた」の一言がなかなか言い出せません。あるいは相手の意見が間違いではないかと疑念を持ったときにも「それはこういう理由だから間違いではないだろうか、こうあるべきではないか」と言うべき際に、「そんなことを言ったら俺の言っていることも筋が通らなくなるな。ここは黙って無視しようか」などと独断してしまうことも無きにしあらずです。 そこで第十条を見ると以下のように定められております。
第十条 心の怒りを絶ち、顔色に怒りを出さないようにし、人が自分と違うからといって怒らないようにせよ。人には皆それぞれ心があり、お互いに譲れないところもある。彼がよいと思うことを、自分はよくないと思ったり、自分が良いことだと思っても、彼の方は良くないと思ったりする。自分が聖者で、彼が愚者ということもない。ともに凡人なのである。是非の理は誰も定めることはできない。お互いに賢者でもあり愚者でもあることは、端のない環のようなものだ。ということで、相手が怒ったら、自分が過ちをしているのではないかと反省する。自分一人が正しいと思っても、衆人の意見も尊重し、その行なうところに従うがよい。
ものの道理は結局メビウスの帯に等しく一概に事の是非を論ずることは困難である。周りの意見も十分参考にしなさい、といっています。これだけで結論が導き出せるかは非常に懐疑的ですが、まずは議論する当事者にとって必要なことでしょう。
参考HP http://www1.ttcn.ne.jp/~aatok2-h/kenppo.htm
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