シャア・アズナブルは、宇宙世紀0059年、サイド3に生まれる。「本名」は、キャスバル・レム・ダイクン。ジオン共和国初代首相である父・ジオン・ズム・ダイクンが暗殺された0068年、地球へ亡命。といっても、サイド3・ジオン政権自体が地球連邦政府に対し反旗を翻すものである以上、政治亡命して亡命政権を建てるわけにもいかない。エドワウ・マスと名を変え、単なる地球の一市民となった。もっとも、この時代、地球に住むことができること自体、特権階級であることを意味しており、立場を変え身を隠すことができたのもマス家のその特権によるところが大きいと考えられる。
ジオン・ズム・ダイクンの暗殺は、現在の宇宙世紀年表ではU.C.0068年とされている。小説では「14年ほど前」(一年戦争時から)と書かれており、富野監督の当初のイメージではもう少し早い時期だったようだが、ここでは0068年説を採る。一方、その後エドワウが再びジオンに密入国しシャア・アズナブルと名乗った時期についても諸説あるが、シャア15歳の年、0074年頃と考えたい。小説版の記述の他、映像におけるセイラの回想する兄との別れのシーン(これは殆ど心象風景とも言うべきものだが)、自らザビ家への復讐を決意したという再入国の動機、などから年齢的に考えても、妥当な線ではないかと思う。ジオン・ダイクンの側近ジンバ・ラルに育てられた影響で、彼自身がザビ家への復讐を決意したこと(セイラが「父の名を冠する国と戦う気にはなれない」と述懐しているのと同じく、「ジオン」を守ろうとする意志の裏返しとも解釈できる)、開戦が決定的になった時点で、国力増強のためジオンが人口移入を推奨したこと、かつ旧ダイクン派の協力により入国し戸籍を得るのが可能だったこと、これらを考え合わせると、それより早い0071年説などでは地球にいた期間が短すぎるし、年齢も幼すぎる。逆に士官学校入学直前に帰国という説では、経歴が不自然になりすぎる。
『機動戦士ガンダム』におけるシャアは、当初、最初のライバルキャラクターとしか想定されていなかった。ジオンの息子云々の設定も、「メインの話とは一切関係ない」(監督)サイドストーリーで、セイラとの因縁で連邦とジオンを結ぶ線となり、仇討ちという目的を隠し持つ、多少特殊な敵役でしかなかった。放映中の富野監督インタビューでも、シャアの役割は「将来的にシリーズ全体を引き継げる登場人物を連れてくる」つまりララァの登場までで、死ぬのは間違いない、と明言されているし、シノプシスでもシャアはアムロに敗れて瀕死の重傷を負い後送され、更にギレンに正体を見破られるという結末を迎えている。
独自の目的を持ち、挫折する、という風に完結するはずだったシャア・アズナブルというキャラクターが、ララァを挟んだアムロとの関係において主人公格に成長していったのは、シリーズを転がしていく上で蒔いておいた種の一つが実ったということにすぎない。また、人気が出てきたために殺さずにおくという富野監督の計算高い一面も見られ、「やっぱりシャアのあの声がああいうふうに聞こえてきたっていう瞬間で、キャラクターが化けたってところがある」という言葉に象徴的である。全43話に再構成された段階でドサクサに紛れて生き残った観も否めない(正確にはTV版では生死不明)。
ところが、『Zガンダム』において、四つ目の名、クワトロ・バジーナを名乗って登場してしまったことが、シャアという人物を分からなくしてしまった。これには、前作で人気のあったライバル役を準主役として登場させる(EDクレジットではキャストの筆頭が「シャア・アズナブル」)、という企画先行の意図が感じられ、必ずしも富野監督の意に添うものではなかったかもしれない。小説『機動戦士ガンダム』の角川文庫版(昭和62年)のあとがきにも、監督は以下のように書いている。
勿論、他にもいくつもの問題点があるが、問題は『人』である。(中略)『Zガンダム』以後のシャア・アズナブルは、その立場をかえて『逆襲のシャア』に登場する。これらの破綻はいかんともし難いのである。
一年戦争終結時、地球圏を脱出し、アステロイドベルトに拠ったジオン残党軍の中心人物になったであろうシャアが、なぜ地球圏に戻り、エゥーゴに投じたのか。それを説明するために、シャアの複雑怪奇に屈折した心理が明かされることになる。アクシズに台頭してきたハマーンとの折り合いが悪くなった、というのは表面的な見方にすぎない。
閑話。シャアがこの時期に地球圏に戻ったのは、一年戦争時にキシリアが遺した隠し資金、「キシリア埋蔵金」を探すためではないか、という珍説もある。マ・クベが「ジオンはあと10年は戦える」と言ったのはあまりにも有名だが(『08小隊』の特典映像『宇宙世紀夜話』では「半年」と変えられている)、最終的にギレンに対抗する意志を持つキシリアは、地球から送られる物資の多くを私物化し秘匿していた。と、すれば、キシリアが拠点としていた月に、そのための私的な管理機関を置いていたかもしれない。キシリア麾下にあったシャアは、キシリア、マ・クベ亡き終戦後、その資金に接触し利用する機会のあった唯一の人物だった。シャアがセイラに贈った金塊も、キシリアに任された資金を横領したものかもしれない。もっともこの金に関しては、ダイクン派の後押しを受けてジオンに潜入したシャアがこの時点で使える個人的な資金だったかもしれないが。とにかく、クワトロ時代のシャアも月を拠点に活動していたという事実も示唆的である。百式が金色なのは、この「黄金」の象徴だという説まである。以上、後のネオジオン再建の資金は、キシリアの遺産だったのではないか、という説。閑話休題。
カイ・シデンに言わせれば、「奴は、本来もっと出来る男のはずだ。」「なのに、地球圏に戻ってドンパチしかやらんとは、卑怯だ。」「その気になれば地球連邦政府をくつがえすだけの力だって持っているのに、戦闘の中に逃げこんでいる。そういう姿を見るのは嫌だ。」(手紙、小説版)
これが、この時代、ものが見えている人間にとって共通の認識である。この時点でシャアはダメな男になってしまった。この後『Z』におけるシャアの凋落ぶりには呆れるばかりである。赤い彗星も地に堕ちた。富野監督言うところの、「負け続ける男」である。それでも周囲の動きに流されてダカール宣言などを行うシャアは、「一番うっとうしくって、事態をメチャクチャにしている」のであり、「あのようなことをやってみたいんですよ。なんだかんだと言っても。本気か!?と言った時に問題になるわけでね。」(富野語録)
「本気」になれないのがシャアで、ではそれは何故かというと、人生がザビ家打倒という私怨から出発したため…ではなく、やはりララァの死による、と富野監督は解釈した。そこで結局この問題は、映画『逆襲のシャア』まで決着を持ち越すテーマとなったのである。そこでもシャアは「本気」になりきれず、アムロに討たれるのを望んでいたとも解釈しうる行動をとる。
その『逆襲のシャア』でネオジオン総帥としてシャアが名乗る名は「シャア・アズナブル」。当然「父、ジオン・ズム・ダイクンの遺志を継ぐ」を大義名分とするにも関わらずキャスバル・レム・ダイクンと名乗らないのは、「本気」ではないからなのである。
軍事政権の首班として相応しいのは軍人シャア・アズナブルであるという形式上の問題もあるが、"赤い彗星"シャア・アズナブルは彼の名のうち最も一般の知名度と人気が高いものであり、「シャア・アズナブル」、「ネオジオン」を称することでアクシズ以来の旧ザビ家系ジオンの勢力を取り込み、かつ、父であるジオン・ズム・ダイクンの大義名分でスペースノイド一般の支持をも獲得する。狙いは政治的宣伝効果でしかなく、シャアの思考はマキャベリズムの域を出ていない。
なお、この時のシャアの階級が「大佐」であることに異を唱える向きもあるが、(ゲーム『ギレンの野望』では、ネオジオン総帥になったキャスバル・レム・ダイクンの階級は大将。このゲームでは"総司令官"の意味で大将を称しているふしがあり、この点は疑問である)、これは軍隊における階級の概念が我々にとって馴染みのないものだから生じる誤解だろう。捕虜の扱いなどにおいては敵軍の階級も問題とされる他、欧米では在郷軍人も含めて一般的に階級を敬称として用いることからも明らかなように、近代軍の階級は軍内部のみのものではなく、相対的な社会的地位として認知されている。よって、自ら高い階級を称するという発想は出てこないのである(某独裁者が「伍長あがり」と馬鹿にされていた例もある)。
そもそも階級は軍の指揮系統を明確にするためにあるので、当然、階級が上がるほど人数は少なくなり指揮範囲は広くなるピラミッド型になる(階級が単なるステイタスとして形骸化していた中世などの例外は除く)。よって、将官級の人物がゴロゴロしている某『第08MS小隊』などがおかしいのであって、この時シャアが指揮する程度の軍ならば大佐でちょうど良い、とも言える。ガルマは大佐、キシリアは少将だったことを想起すべし(もっとも彼らは自分より階級の高い将官をも指揮下に置いていた例外的な存在ではあるが)。シャアの場合むしろ大佐への昇進が早すぎたのであり、ガルマを死なせ軍籍を剥奪されたところをキシリアに拾われた段階で二階級も上がったのが、やはり不自然である。ちなみに小説ではこの時中佐で、「どうせ位攻めなら大佐が欲しかったな」と言っている。「位攻め」という言葉からも、シャアの立場が妙に強いことが伺える。実力のなせる業だろうか。
現代において大佐といえば連隊長、海軍ではおおよそ艦長クラスだが、ジオン公国軍最盛期の規模を考えれば現代と比較して指揮権は広いはずだから、佐官の最上位である大佐は師団長クラス、十数隻の艦隊司令として不足とは言えまい。シャア自身、一年戦争時は少佐で一隻とはいえ分艦隊の司令を任されていたのである。
結論。シャアのネオジオンは人的資源において旧ジオン軍を母体としているといって間違いなく、当然、組織もそれに準じている。それを踏まえてネオジオン軍の規模を考えれば、大佐が統帥するのは決して不自然ではない。シャアは総力戦をやろうとしているわけではないし、政治的にもコロニー一つを占領しているにすぎないのである。
最後に、ゲーム『ギレンの野望』におけるシャアについて触れる。
このゲームでは、シャアが第三勢力・ネオジオン軍を旗揚げするイベントがあるのだが、ここでは彼はキャスバル・レム・ダイクンの名で挙兵する。
その前に、ここでシャアが「ネオジオン」を称するのは不自然である。無論、史実で後に彼が建軍するネオジオンに対応させているのだが、『逆襲のシャア』ではアクシズ勢力を中心としたジオン残党軍を踏まえてネオ・ジオンと称しているのであり、一年戦争時とは自ずと事情が異なる。一年戦争の時点では、ジオン・ダイクンの創業の志を継ぐ、という大義名分からも、ザビ家に対抗する意味で「正統ジオン」(キシリアが旗揚げする勢力)こそが名称として相応しい。そのキシリアは、デギン亡き後、簒奪者ギレンを討つのが名分で、本来の正統性はギレン以上のものではない。キシリアこそが「ネオジオン」を呼称すべきではないのか――閑話休題。
このイベントは、基本的に小説版のプロットに基づいている。アムロが戦死扱いで、残ったホワイトベースのクルーがこのネオジオンに参加しているのがその表れで(これはやりすぎの観もあるが)、母体はキシリアのニュータイプ部隊、シャリア・ブルを参謀とし、フラナガン機関をも取り込み、ニュータイプによる、ニュータイプの為の軍隊という性格を持っている。ニュータイプ論は措くとしても、「無益な戦いに終止符を打つため」というこの挙兵はマキャベリズムとしてはデタラメである。連邦とジオン、双方に宣戦布告などというのは下の下策。この時キシリアの立場ならば、デギンを謀殺したギレンを簒奪者として討つという大義名分でもあり、終戦によってギレンの権力が盤石のものとなる前に布石を打っておかねばならない事情があって挙兵するのだが、シャアの場合はそうではない。力を蓄え、連邦と戦わせておきながら内部からジオンを乗っ取って行くのが政略の定石であるのに、一番の弱小勢力であるこの時点で二大勢力を正面切って敵に回すなど、考えられない。ここまで狡猾に成り上がってきたシャアが、突然、理想主義者になってしまったようだ。「惜しむらくはアジテーターでしかなかった」(ギレン)、ジオン・ズム・ダイクンの血の表れであろうか。
それでも、「お心は大きくお持ちいただけると、ジオンの為に素晴らしいことだと思われますな」と言ったシャリア・ブルや、クワトロ大尉となったシャアに失望した周囲が本来期待していたのが、この、ジオン・ズム・ダイクンの後継者として生きるシャアであった。この『ギレンの野望』では、そんなシャアの生き方が一種の理想として描かれたと言える。