以下の文章は、1997年12月29日発行の同人誌『NOёL 攻略 岡野由香』の序文である。今読むとややツライ部分もあるが、敢えてそのまま公開した。 ちなみに、途中で一度だけ一人称が「私」になっている。これは、没入する余り無意識のうちに書いてしまったもので、思い入れの強さを表していると言えよう。

序文にかえて 〜NOёLとは?

 なぜ今、NOёLで、岡野由香なのか?――本書を手に取った読者がまず想起するであろうこの疑問に答えよう。なんとなれば、続編である「ラ・ネージュ」の発売も迫り(?)、おさらいも兼ねて再びNOёLをプレイする気になった人(いるのか?)、ベスト版の発売に伴い新たにNOёLを購入した人を対象に、ハッピーエンドを迎えるのが最も困難と思われる岡野由香をとりあげて……というのは実際のところ大ウソであり、筆者がこの時期にNOёLをプレイし、ハマり、「ラ・ネージュ」にも期待を寄せてカレンダーを2種類買う羽目になったのは単なる偶然なのである。
 そもそも筆者がNOёLをプレイしたのは、「ダメなギャルゲーの代名詞」という周りの評価に興味を覚えたためであった。筆者にNOёLを貸してくれたK氏は大の岩男潤子ファンであり、NOёL限定版を購入するや、愛の力を総動員して恵壬のエンディングを見たのだが、その際の苦労談が広まり、また、借りてプレイした何人かが揃ってサ ジを投げたことから、筆者の周辺では、「NOёL=クソゲー」の評価は動かぬものとなっていた。もとよりクソゲーマーを自認する筆者は、その常としての屈折した愛情の対象とすべくNOёLに手を出したのである。
 しかし、実際にプレイして筆者の評価は一変した。ヴィジュアルフォン=テレビ電話のシミュレータとしての全体の完成度の高さ、第一印象を裏切らず隅々まで行き届いたデザインの洗練されたセンス、世界観に奥行きを持たせるため提供される周辺情報量、どれも「改善を重ねたシリーズ最新作」という印象を与えるものであり、他に類を見な いジャンルでの、習作とも言うべき作品とは思えない。
 では、何故このソフトの評価はかくも散々なものであるのか?筆者はすぐにその理由をも知ることとなった。ヴィジュアルフォンというハードウェアのシミュレータであるNOёLは、ソフトウェアであるところの「会話」をもシミュレーションの対象として扱っていたのである。いわばこのソフトは「ヴィジュアルフォンで女の子との会話を楽しむゲーム」ではなく、「ヴィジュアルフォンを通じた女の子との会話をシミュレートするソフト」なのである。
 ややこしい表現を用いてしまったが、簡潔に言うと「ゲーム性を欠く」ということである。怒りを込めて言うと「こんなのゲームじゃねぇ」ということになろうか。「本来存在すべきところにゲーム性が存在しない」このゲームは、クソゲーの一つの典型であり、「ゲームとギャルゲーは別」という私の持論に照らせば、典型的なギャルゲーでもあるのだ。クソゲーマーとしての私が如何に、NOёLに、本来あるべきものとは別の特殊なゲーム性を見いだしたかは攻略の項に譲るとして、ギャルゲーマーとしては、「女の子を楽しむ」というまた別の目的がある。
 前置きが長くなったが、本書の目的は、NOёLをゲームとして楽しむために、説明書や攻略本には不足している部分を補うことにある。その目的のため、本書には、とりあえずハッピーエンドを迎えるための方法を、なるべく具体的に記した。ややこしくなるが、NOёLはハッピーエンドを目的にプレイすべきゲームではないため、これは読者 の楽しみを妨げることには決してなるまいと考える。どうか本書を頼りに一度エンディングを見てほしい。それは「方法」の一部にすぎないのだ。NOёLの本当に楽しみはさらにその先にある。

1997.12.26 上海亭 拝


return