h6_6 断片的な情報のもたらす効果 ――岩松了プロデュース公演『アイスクリームマン―中産階級の劇的休息』  小さなテーブルをはさんで向い合った三組のソファ、上手にはカウンターが ついている。観葉植物やピンク電話があるから、喫茶店かな? でも、それに しては飲み物の自動販売機があるのがヘン。下手の階段とカウンターのあいだ の奥の壁には小さな札が張ってあるけど、何が書いてあるのか読めない。読め ればここがどこかヒントになるのに。あれ、カウンターの下や壁にはポスター だ。絵柄やぼんやり見える文字からすると交通安全のポスターらしい。階段の ふもとにはバインダーでまとめた新聞がラックに掛かっていて、その横にはデ スクと椅子。ますます分からない。何かの施設の待合室だろうか。  というようなことが、開演前の、まだ薄暗い舞台を眺めている私の頭の中を 駆け巡った。  一旦暗転。明りが入ると、四人の男女がソファに坐っている。三人は誰かの 噂話の真っ最中、将棋をさしている男二人の一方はパチンコで大金をすったら しい。さっきぼんやりとしか見えなかった壁の札は矢印型をしており、「浴室」 という文字が読み取れる。ということは? 『アイスクリームマン―中産階級の劇的休息』の幕開きだ。九二年、劇作家岩 松了が東京乾電池の若手俳優のために作・演出・製作した作品の再演である。  視覚的な情報はあふれているのに、それをつなぐ要がなかなか見えてこない 舞台装置は、岩松劇の特徴に見合っている。  そうか、ここは短期集中で運転免許を取るための教習所、その宿舎のロビー なのだ、と分かってくるのは、とりとめのない会話がかなり進んでからだ。  登場人物はみんなで二十二人。教習生が十六人、教官が二人、早苗という名 の合宿所の事務係、東京から訪ねてくるその姉他。みんな若い。  一部の教習生が卒業試験に合格し、去ってゆくまでの足掛け四日間のロビー でのお喋りと彼らの出たり入ったりがこの劇のすべてである。時間的・空間的 に閉じた状況(二週間という教習期間、人里離れた山の中)だけに、若い男女 のあいだにはいくつもの恋愛感情が交錯する。抑圧された性が底のほうでくす ぶってもいる。だが、女性の高校教師と、彼女が「アイスクリームマン」とあ だ名した阿部(大抵スティックアイスをなめながら登場する)との関係(とい うより関係以前)に典型的なように、恋愛感情が言葉として表に出ることは滅 多にない。早苗の姉と水野という男が衝動的に惹かれ合ってゆくことを除けば、 「出来事」と呼べるようなことも何も起こらない。  ただ、そんな恋のあれこれや個々の家庭の事情、勤め先の事情などについて の情報が、軽妙な日常会話に混ざって行き交うばかりである。その情報もすべ て断片的。観客は、断片と断片をつなぎ、人物同士の関係や教習所の「外」で 起こった事柄の全貌を想像するしかない。舞台装置が岩松劇の在り方に見合っ ていると言った所以である。  登場人物よりも観客のほうが多くの情報を与えられる、というのは劇の鉄則 だが、岩松は意図的にその法則をくつがえす。劇においては台詞は常に氷山の 一角。劇作家は、往々にして登場人物自身も知らない海面下の部分に当たる諸 々の情報を、観客に提供するのだ。そこでドラマティック・アイロニーという ものも生じる。ところが岩松は、観客にはあくまでも氷山の一角しか見せない。 情報量は登場人物のほうが圧倒的に多い。その結果、未知の部分は我々の想像 力によって断片的な情報の背後に大きく立ち上がり、ごく普通に見えた人間や 関係の不可解さや不気味さがぬっと浮び上がる。それが岩松戯曲の特徴と魅力 である。  岩松了のこうした作劇法については、演劇評論家の長井和博氏が週刊のミニ コミ演劇誌『初日通信』に長大な論を発表している。氏は、岩松の処女作と言 える『お茶と説教』を見ていち早くこの特徴に気づいている。脱帽。私は、氏 の論文を今まできちんと読まずにいた怠慢と、己の不明を合わせて恥じたわけ だが、遅まきながらと言うか、遠回りの末と言うか、観客と登場人物の情報量 の格差の転倒とか、それによるドラマティック・アイロニーの封殺という岩松 戯曲の特質に、ともかく自力で思い至れたことで満足している。長井氏には一 周遅れでようやく追いついたというところだ。  舞台の話に戻ろう。俳優たちは、さりげなくデフォルメされた人物を生き生 きと演じ、軽妙な台詞もテンポよくきちんと聴かせた。漫画のアラレちゃんを 思わせる早苗(前田昌代)、異様な屈折を秘めた高校教師(杉嶋美智子)、ま さに融けかけのアイスクリームのような阿部(松下泰和)、水野(清田正浩) と彼を巡る聡子(栗原一実)と瀬川(吉添文子)と早苗の姉(伊藤留奈)など、 誰もが笑いと切なさの混在の中で強い印象を残す。  へらへらしたような一見いい加減な流れが、まるで間歇泉のような激情の奔 りで空気を一変させるめりはりのよさ。演出も周到だ。