h6_5 甦る古典の生命力――パナソニック・グローブ座『尺には尺を』  来日三度目のイギリスの劇団、チーク・バイ・ジャウルがデクラン・ドネラ ンの演出で上演したシェイクスピアの『尺には尺を』は、配役から個々の場面 のミザン・セーヌにいたるまで、斬新な解釈と工夫がめじろ押しで実に刺激的 だ。ヒロインのイザベラへの同情と共感(それは多分私を含む女性観客にとっ てはいっそう深いはず)も、そんな解釈の賜のひとつである。  ほぼ四百年前に書かれたシェイクスピア劇を「今」に引き寄せる一番手っと り早い方法は衣装を現代服にすることだろう。最近では洋の東西を問わずほと んどの上演で試みられていることだが、この『尺には尺を』ではそれが徹底し ている。原作の舞台は十七世紀初頭のウィーンだが、ドネランは、随所に登場 する警官に現代のイギリス警官の制服を着せ、劇の状況を視覚的に「今」のイ ギリス、というより、都会の話なのでロンドン、にしている。言うまでもなく 他の人物たちも現代服で、イザベラの兄(弟と解釈する場合もある)クローデ ィオの親友ルーチオなどは、革ジャンを着た遊び人ふう。  公爵は、全権を腹心の部下アンジェロにゆだね、修道僧に変装して人心を観 察する。いっぽうクローディオは、法を破り結婚前に恋人を妊娠させたかどで 死刑の宣告を受けている。修道女のイザベラは、彼の助命嘆願のためにアンジ ェロに会いにゆく。一目でイザベラに魅せられたアンジェロは、宣告を取り消 す代わりに体を要求し、拒む彼女をデスクに押し倒す。  戯曲のイザベラは見習い修道女なのだが、この舞台では、彼女の制服から判 断するともはや見習いではない。また、アンジェロが彼女に激しく迫るのも、 原作ではふたりの二度目の「会談」のときであり、迫る激しさもあくまでも言 葉の上なのだが、ここではほとんどレイプ寸前。この二点が、アンジェロの行 動の犯罪性を強調し、後のイザベラの選択の評価と人物像に大きく影響してく る。イザベラは、この場面の直後の独白で「誰に訴えたらいいのか、今の話を 誰が信じてくれるか?」と涙声で観客に訴える。まさしく権力をかさに着たセ クシュアル・ハラスメントの犠牲者だ。ついさきごろの某大学教授のセクハラ 事件を思い出さずにいられない。  こうした演出が、衣装による視覚的な「今」と相俟って、この一連の場面の 「今日性」をいっそう強める。『尺には尺を』が九〇年代の劇になる。  そして、兄の命よりも自らの貞操を取るというイザベラの選択。戯曲を読ん でも、これまでいくつかの上演を見ても、女の私でさえ、彼女は冷たいとか自 分本位だとか思ってしまうのだが、この舞台では、先に述べた演出のおかげで ほとんど全面的にイザベラの選択を容認する気になるのだ。 『尺には尺を』は裁判劇の範疇に入るだろうが、その面の浮び上がらせ方も見 事なものだ。舞台の一番奥の壁まで剥き出しにした広い空間に、最初から登場 人物全員が散り、公爵とアンジェロのやりとりのあいだも凍結したように立つ。 この手法はたびたび他の場面でも使われるが、事件の関係者を集めた現場検証 の効果を発揮するのだ。  配役の斬新さも言っておかねばならない。アンジェロは、かつてマリアナと いう女性と婚約していたのだが、彼女の兄が死に持参金がなくなったのを機に 捨ててしまう。これまで見た上演で私が不満に思ったのは、マリアナ役を演じ る女優がほぼ例外なく典型的な美人だったことだ。だが、戯曲を読むかぎりシ ェイクスピアはマリアナが美女だとは一言も言っていない。彼の戯曲では、美 しい女性に与えられる最も一般的な形容詞はfairである。fair Julietとかfair Ophelia。ヒロインたちにはfair以外にも美しさを表す形容詞の椀飯振舞いな のに、マリアナにはfairすら与えられていない。そこで私は、マリアナは性格 はいいが美人ではないという仮説を立てた。そうすればアンジェロが面食いで 持参金目当てに婚約したひどい男という面がひとりでに出るのに、と思ってい た。そのひそかな仮説がこの舞台で実現されていた。ここではマリアナは黒人 で、決して典型的な美女ではなく、おまけに、アンジェロに捨てられたショッ クの故か酒びたり、というふうに造形されている。クローディオも、そして営 業停止処分を受けた売春宿の女将も黒人俳優が演じている。これらの配役は、 体制や権力が切捨てようとするものの強調と読めるだろう。  さて、衝撃的だったのは幕切れだ。死を免れたもののクローディオは妹を許 さない。彼がその歓びを共にするのは、恋人よりもルーチオ。ベッド・トリッ クにはめられたすえにマリアナと結婚させられるアンジェロをイザベラがいた わり、そのイザベラは、変装を解いた公爵に求婚されても一旦は拒否するのだ。 形の上での大団円とは裏腹に、苦さと重さを全身に背負ったカップルが凍りつ いたように並ぶさまは荒涼としている。だが、この「問題劇」の結末としては まことに納得のいくものになっている。