h6_3 さらに洗練さらに深化――野田地図『キル』  一瞬一瞬を目と心に焼きつけ、忘れたくないと思う美しいシーンの連鎖、 『キル』。一年の「停電」期間という人を喰った言葉を残し、おととしの秋に ロンドンへと旅立った野田秀樹が帰ってきた。十七年続いた劇団夢の遊眠社を 解散し、新たに起こした野田地図(NODA・MAP)という製作集団の第一回公 演である。  白布を敷き詰めた舞台の奥に置かれた一台のミシン。無人のままペダルが動 き出し、ミシンを踏む音が次第に大きくなる。その背後にするすると白布が立 ち上がる。墨で線描された入道雲とスライドで投影された雲とが重なる。果て しない広がりを連想させる音楽がミシンの音を呑み込み、白を基調とした衣装 を着た人々が、ゆっくりと傾斜を登りこちらへ向かってくる。野田の演劇シン フォニーの常にも優る印象深い序奏である。  一貫して表現は洗練され、言葉は研ぎ澄まされ、演出も抑制がきいて大人に なっている。だが野田独特の少年的な奇想と言葉遊びは相変わらず元気だ。  何しろあのモンゴルの征服者テムジンがファッション・デザイナーなのであ る。  一人の赤ん坊が生まれる。「世界を征服するとは世界中に制服を着せること だ」と言うイマダ(小田豊)を父とし、トワ(新橋耐子)を母とするテムジン (堤真一)は、父の遺志を継ぎそのブランド「蒼き狼」による世界制覇の野望 を燃やす。ライバルのヒツジ・デ・カルダン(深沢敦)一党との戦いにも勝利 をおさめる。敵方に寝返った結髪(渡辺いっけい)は、カルダンのもとでモデ ルをしていたシルク(羽野晶紀)を連れて戻ってき、彼の仲立ち(シラノ・ド ・ベルジュラックふうに手紙を代筆する)でテムジンとシルクは結ばれる。息 子バンリ(野田秀樹)も生まれるが、実子ではないバンリを愛することができ ず、また自分がイマダを超えたように、バンリも彼を超えるのではないかとい う恐れを抱く。やがて偽ブランド「蒼い狼」が現れ、バンリはその遠征に向か う。だが「蒼き狼」のブームは去り、テムジンは、自分が憎み超えようとした 父と同じことを繰り返していることに気づく。この場面の気迫と美的な洗練に は息を呑んだ。落した照明の中、舞台に二列平行に吊られた服の列。テムジン が、手前の列の服を下手からひとつひとつ引きちぎるように落してゆくと、奥 の列のそれを死んだはずのイマダが引き落しながら上手へ向かう。二人の動き は、まるで鏡に映った像と実体のようにぴたりと一致している。世代間の相克 とその皮肉。この光景はホンモノが消えるときニセモノも消えることの謂いで もある。  野田秀樹の演劇の新しさと特徴はいくつも挙げられる。たとえば躍動してや まない俳優の身体。躍動しつつ猛スピードで発射される台詞回し。そして言葉 遊び。だが、私見では、最も大きな特徴は彼の芝居の土台をなすアレゴリー性 ではないかと思う。洋の東西を問わずもはや分厚いホコリをかぶってしまった 観のあるこの「文芸の技法」を、野田は新鮮な形で蘇らせている。たとえば 「妄想の一族と現実の一族」の闘いを描いた『小指の思い出』。登場人物はい わば「妄想」と「現実」という観念が受肉したものであって、その逆ではない。 『キル』でもそうだ。作者はテムジンという人物を描いてそこから「野心」と いう観念をあぶり出そうとするのではなく、「野心」を描くためにテムジンを 呼び出している。野田の戯曲が常に普遍的な何かを語りかけてくるのも、この アレゴリー性と無縁ではあるまい。新鮮な形と言ったのは、彼の用いるアレゴ リーが単純ではなく、ときにはめまいがしそうに多面的であり、現在のセンス を帯びた上記のもろもろの特徴と綾をなしているからだ。  さてその特徴のひとつ、表層から深層へと急降下する言葉遊びも一層の冴え を見せている。そもそものタイトルの「キル」がそうだ。着る、切る、生きる、 と目まぐるしく意味を変えつつ主題を担う。加えて「キルキルキル」はミシン を踏むリズム、征服のリズムになる。蒼き狼の世界征服の武器はミシンと機関 銃が合体したものだ。言うなれば「sawing-machine-gun」――野田は遂に 英語まで掛け詞にし、おまけにそれを小道具として実体化させてしまったのだ。 「はやり病」は何かの病の流行ではなく、流行という病となり「……だろう」 と言うことが曖昧になるのがその症状。「シャネルの大河がろうろうとうねり」 テムジンは「かげろうのなかにもうろうと入っていく」  と、例を挙げたらきりがない。私は野田秀樹を「逆引き広辞苑内蔵人間」と 呼びたい。 「キル」ことに取り憑かれていたテムジンは、死を目前にして「脱ぐ」ことの 大切さと「この世が生まれたときから青い空が世界の制服」であることを悟る。  この台詞からは、野田の演劇自体が簡潔を目指し、流行(はやり)とは関係 ないまっさらな「演劇」そのものに向かおうという意志までもが読み取れ、深 く心を動かされる。