h5_11 目にも耳にも存分の快感 ――シェイクスピア・シアター公演「ジョン王」 マグナ・カルタ――一  二一五年。中学・高校で世界史をお勉強したときには必ず暗記した年号のひ とつではないだろうか。  だがそのマグナ・カルタによってイギリスの封建貴族に屈したかたちになっ たジョン王(在位一一九九―一二一六)については、いくら一所懸命思い出そ うとしても、教科書に詳しく書いてあったという記憶はない。王様としてのそ んな知名度の低さが、『ジョン王』という劇の上演頻度の低さにつながってい るのかもしれない。  日本でもこれだけシェイクスピア劇の上演が盛んになり、『ヘンリー六世』 三部作から『ヘンリー四世』二部作まで、歴史劇も何度か上演されるようにな った今でも、『ジョン王』だけは滅多にお目にかかれない。私も生の舞台に接 するのは、今回のシェイクスピア・シアターによるグローブ座での公演が初め てである。BBCのシェイクスピア劇場シリーズでテレビ版は見たし、そのと きはこんなに面白い芝居だったのかとかなり強い印象は受けたのだけれど。 『冬のライオン』という映画がある。ピーター・オトゥールがヘンリー二世に、 キャサリン・ヘップバーンがその王妃エリナーに扮した秀作である。ジョンは この中世イギリスの王国夫妻の末の王子。  ヘンリー二世の跡を継いだ長子の獅子心王リチャード亡きあと、順当にゆけ ば次男のジェフリーの王子アーサーが王位に就くはずなのだが、叔父であるジ ョンが割り込んだ。ジェフリーの妻コンスタンスは、この簒奪者を退け、息子 アーサーが王位に就けるようフランス王に援助を求める。 『ジョン王』という劇の幕はその時点で切って落とされる。  出口典雄の演出は、まずテキストレジが見事であり、英仏両陣営の対立と対 照から戦闘場面にいたるまで、ステージングも流れるような洗練を見せる。装 置はほとんどなく、視覚的には簡素な道具と照明(尾村美明)だけですべてを 表現する。渋い色調で統一した衣装(井上サチコ)も効果的だ。  だが、何にもましてこの舞台が私に気づかせてくれたのは、言葉が人を 「move」させる力である。シェイクスピアが、この戯曲のほぼ全編にわたる 台詞に込めたその力である。人の心をmoveさせる、つまり感動させることか ら、人を物理的にmoveさせる、つまり移動させることまで、その力とベクト ルは及ぶ。  moveさせるための言葉とは具体的にどういうものか。すなわち、説得、懇 願、誘惑、呪詛(これは天をmoveさせようとする言葉)――『ジョン王』は こうした相をもつ台詞に満ち満ちている。  説得、懇願、誘惑などが功を奏し、相手をmoveさせるとどういうことが起 きるか。すなわち、翻意、選択、選択の結果の寝返り、裏切り、あるいは忠誠 の誓い。  人の心を動かすのも言葉なら、それによって一方の陣営から他方へと人を移 動させるのも言葉である。  たとえば、英仏両軍が双方にとっての重要拠点であるアンジェ市の市民に向 かい、城門を開けと迫る場面がある。フランス王フィリップとジョン王は交互 に言葉を尽くして彼らの心を動かし、味方につけようとする。選択を迫る。  たとえば、アーサーの暗殺を命じられたヒューバートという人物に、この幼 い王子が命請いをする場面がある。王子の純で曇りのない心から発した言葉が ヒューバートの心に訴える。「こうやって話していると、あの無邪気な口ぶり で、死んでいたはずのおれの慈悲心が生き返りそうだ」  ジョン王の意を汲み「生かしてはおきません」と言ったヒューバートが、 「かわいい坊ちゃん、(中略)ヒューバートは世界じゅうの富をやると言われ ても、あなたに危害を加えはしません」と心を変えるのである。  この場面は、ヒューバート役の円道一弥とアーサー役の大石美和の好演によ り、シェイクスピアが書いた言葉の「move力」が最大限に生かされ、その結 果、観客である私たちもヒューバートの翻意を心底納得し、moveされる(感 動する)のである。  アーサーは暗殺は免れるのだが(結局は逃亡の途中で命を落す)、コンスタ ンスは愛児が殺されたものと思って身も世もなく嘆く。この場の吉沢希梨は、 「私の激しい悲嘆の声は世界を揺り動か」すという台詞どおり、やはり観客の 心をも動かした。  王位を巡る権力の興亡とそれに翻弄される個人――それがシェイクスピアの 歴史劇の面白さなのだが、『ジョン王』も例外ではないことをこの舞台は教え てくれた。のちの『リア王』のエドマンドにも通じる悪役、獅子心王の私生児 に扮した吉田鋼太郎、ジョン王の松木良方など、どの役者も役にぴたりとはま っている。抑制された演技と鮮やかな口跡。目にも耳にも存分に快感を味わわ せてくれた舞台である。