h4_8 虚実皮膜の創造――白石加代子『百物語』シリーズ  それはまるで、闇の中に解き放たれた木霊がひとりで勝手にしゃべり出した かのように、ひっそりと、だが、人の体を離れて自ら空気を震わす歓びをこめ て始まった。片隅からの木霊のささやきは闇に染み通り、中央へ滑りだして響 きを増し、また奥へと退く。  客電が消えた直後の目は闇に侵入され、そこに居るはずの人の姿は暗くかき 消されて全く見えない。だから、木霊の独り言。  そこに居るはずの人は白石加代子、語られているのは夢枕獏のショートショ ート『ちょうちんが割れた話』。「白石加代子『百物語』シリーズ」と銘打た れた語りの舞台の第一夜、第一話である。  お盆の夜、幼くして死んだ女の子の気配を感じた家族のひとりが、「そこに 居るならみんなにそのことを知らせておやり」と呼びかける。すると、盆提灯 がパカッと割れた、という話。「……割れた」という言葉と同時に舞台に明り が入り、正面にすっくと立つ木霊の主が輝くように浮かび上がる。その明りは 下からわずかにあおるような角度なので、背後の壁に映る白石の影は等身大を 遥かに越えて、本人にのしかからんばかり。  怖い、という気持ちと、明りのついた安堵感が微妙に入り混じる。ここまで の演出といい、闇に目が慣れる直前に話が完結するショートショートの選択と いい、心憎い導入である。構成・演出は鴨下信一。  第二話は同じく夢枕獏の『二ねん三くみのブランコの話』。小学校の宿直の アルバイトをしている男に、そのアルバイトの先輩が、教室で首吊り自殺をし た少女の幽霊の話をする。これまた怖い。白石は、ここでは大きなアルバムの 台本を両手に広げ、時々そこに目を落としながら舞台のそこここを歩いたり、 時には点在する三つの台に腰を下ろしたりする。台本の右上の角に留め付けた 小さな明りがページを照らす。その照り返しが彼女の顔を柔らかく包み、また、 明りそのものが、物語の中の男が校舎の見回りに使う懐中電灯とも見え、恐さ の効果を上げる。  そう、白石加代子「百物語」シリーズは、「恐くて不思議な話」のコレクシ ョンなのだ。だが恐い話といっても怪談ばかりではない。  第三話は筒井康隆の『如菩薩団』。八人の主婦の強盗団の話である。白石は、 その八人と被害者の良家の奥様、若いお手伝いなどを、ややオーバーに戯画化 して見事に演じ分ける。上品な言葉づかい顔色も変えずに殺人を犯しながら、 盗むものと言えば、八人で分ければわずかな額にしかならない現金と、冷蔵庫 の中身や下着類というブラックユーモアが、客席の戦慄と笑いを掻き立てる。  絶品は半村良の『箪笥』だ。『如菩薩団』のあとで休憩に入り、再び客席に 着くと、舞台の様子は一変している。  黒い平台の上、座布団の朱色が目に鮮やかだ。その前に艶のある黒塗りの書 見台が置いてある。一旦暗転になり、再び明りが入ると、書見台を前にして白 石が端然と坐っている。前半では長い髪を背にたらし、カフタンのようなドレ スを着ていたのだが、後半では、白と黒の和服、髪もすっきりと結い上げてい る。  客席に向かって目を凝らし、しばらく無言。すると、吐く息とともにふっと 背筋がゆるみ、まるで数十年の時間が早回しで彼女の体に流れこんだかのよう なことが起こる。見る見るうちに加代子がお婆さんになっていくのだ! 『箪笥』は、ひとりの老婆が能登弁で語る綺譚である。初めは三つになる末の 男の子が、そして、次にはその上の七人の子供がすべて、夜ともなると箪笥の 上に上がって朝まで過ごすようになる。しまいには、この家(や)の亭主の市 助を残して女房も父親(じいじ)も母親(ばあば)も、みんなして一人ひと竿 づつの箪笥の上で夜明かしをするに至るという奇態な話だ。  白石加代子の千変万化する声が、能登弁ののどかなリズムに乗って、この不 気味で滑稽な物語の世界を眼前に彷彿させる。彼女は、たった一度書見台を右 脇まで動かし、母親(ばあば)が箪笥にひょいと上がる動作をした以外、じっ と坐ったままである。目の前で語っているのはまぎれもなく女優・白石加代子 でありながら、白石加代子が消える。役の老婆しかいない。そんな希有な時間、 これこそ役者の「演技」を見る醍醐味だ。 「百物語」シリーズは、朗読にして朗読にあらず、白石加代子独自の虚実皮膜 の世界の創造である。七月と八月に予定されている第二夜と第三夜が待ち遠し い。