h4_7 難物に絶妙な味つけ――ルーマニア国立クライオヴァ劇場公演  禁欲的なまでに簡素で質素な舞台、そこで繰り広げられる血の惨劇――チャ ウシェスク政権が倒れた後に作り出された、ルーマニア国立クライオヴァ劇場 によるシェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』である。演出は一九五 〇年生まれのシルヴィウ・プルカレーテ。  古代ローマを舞台にしたこの残酷な復讐劇は、シェイクスピアがその劇作家 生活の最も初期に書いたもののひとつだが、十六人に及ぶ主な登場人物のうち 最後まで生き残るのはわずか二人。しかも次々と命を落す十四人の人物の死に 方が、どれもこれも極めつきのむごたらしさグロテスクさなので、他のシェイ クスピア作品に較べると、上演は極端に少ないという難物である。  だが、シルヴィウ・プルカレーテは、息つく暇もなく連なる残酷でグロテス クな場面を時には象徴的に、時にはリアルに描き出し、更にユーモラスですら ある人物造形を加えて洗練された舞台を作った。  まだ暗い舞台に、鈍く光る黄金の長衣を纏い帽子を被った祭司のような男が ゆっくりとした足取りで登場する。手には燈明を持っている。祭司はそれを舞 台の中央に置き、祈るような姿勢でうずくまる。戯曲には書かれていないこの 人物は、時には悲鳴のような声を発しながら、ところどころで現れる。言わば 血まみれの世界に対する「嘆き」と「祈り」の具現。シェイクスピアの三十七 本の作品の中でも最も「劇画」的な『タイタス・アンドロニカス』の劇世界に、 奥行きと静けさを与える役を担っていた。  そのあとに現れるのは二台のテレビ受像機である。それぞれの画面に映って いる二人の男は何ごとかを激しい口調で語っている。  明りが入ると、舞台には白い幕が幾重にも張り巡らされている。白と言って も晒していない生なりの白で、それも天竺木綿のような質感である。故に簡素 で質素。その中の一番奥の幕が半ばまで降りてくると、観客に背を見せた男が 二人、深紅の照明を浴びた暗い背景に向かって演説をしている。「我こそは次 期ローマ皇帝」と民衆に訴えているサターナイナスとバシエーナスである。テ レビに映っていたのは彼らの顔だったのだ。この劇における「政治」を強調す る見事な導入である。  ゴート族との戦いでローマに勝利をもたらした将軍タイタスは、この政治に 巻き込まれる。皇帝の座に就いたサターナイナスとその妃となったゴート族の 女王タモーラ、及び彼女の息子たちによって、息子を殺され、娘を汚される。 だまされて自らの片腕も切り落とす。  残酷な場面の象徴的な描き方とリアルな描き方と言ったが、たとえば娘ラヴ ィニアがタモーラの二人の息子ディミートリアスとカイロンに陵辱され、舌を 抜かれ、両腕を切り落とされる場面にもその絶妙なバランスが見て取れる。彼 女は床にうつ伏せになったまま、カイロンたちに幕の裾から奥にひきずり込ま れる。脚、下半身、胴体、頭、と彼女の姿は徐々に観客の目の前から消えてい く。これは陵辱の象徴的な描き方。だが、次に私たち観客が目にするラヴィニ アの姿はリアリスティックに無惨だ。血に染まった口もと、白いドレスの袖は 肩からだらりと垂れ、やはり血まみれなのだ。  また、ユーモラスな人物造形と言ったが、それはタモーラの息子たちやタモ ーラの愛人のアーロンに見られる。ディミートリアスもカイロンも双子のよう にそっくりで、おまけに滑稽な肥満体、いかにもママの支配下でいい気になっ ている馬鹿息子に作ってある。顔だけを真っ黒に塗って黒人であることを表し たアーロンは、悪事を楽しむ不気味さを全身にみなぎらせて迫力満点だ。原作 では彼は生き埋めにして殺されることになるのだが、ここでは天井から吊るさ れた網に捕らえられ、兵士たちの無数の金属棒で前後左右からズブズブ刺し貫 かれて死ぬ。  タイタスが、殺害したィミートリアスとカイロンの肉を挽き、パイに焼いて タモーラに食べさせる饗宴の場では、モーツァルトのピアノ・コンチェルト二 十番の第二楽章が流れ、そのズレはすさまじいばかり。  果敢で繊細で、目を見張るような『タイタス・アンドロニカス』である。  ところで、カーテンコールにアーロンの姿がないのが物足りない、と思いな がら劇場の出口に向うと、なんとその外で網と金属棒にたわむれながら彼が雄 哮びをあげているではないか。傑作なオマケ付き。 (パナソニック・グローブ座五月公演)