h4_4 引き伸ばされた時空――ブリキの自発団『ブリキの動物園』  地球から遥か七万五千光年の彼方、トラルファマドル星で演じられる『ガ ラスの動物園』――演じる役者は地球人だが観客はトラファルマドル星人と いう設定で、実際のザ・スズナリの観客が異星人の立場で舞台を見るわけだ。 八〇年代の初頭から一貫して、主宰者生田萬の作・演出によるSF風の近未 来劇を上演してきたブリキの自発団らしい外枠である。 『ガラスの動物園』という「追憶の劇」にはもともと外枠があり、現在時間 の中に過去を入れ子にした劇中劇仕立てになっている。劇作家テネシー・ウ ィリアムズがこの戯曲を書いたのは一九四四年。彼の分身とも言える語り手 としてのトムが立っている「現在」も、本来はその時点と見てよかろう。彼 が語る母アマンダと姉ローラにまつわる「追憶」の背景は、第二次世界大戦 前夜、大恐慌時代のセントルイスである。  だが生田萬は、語り手をトムからトムの父に、つまりこの一家を見捨てて 蒸発したアマンダの夫に変えた。原作では、居間の壁に掛かった写真として しか登場しない人物である。  生田自身が扮した「トムの父を演じる人間」は、他の人物を演じる人々と ともに地球からさらわれ、トラファルマドル星に連れてこられたことになっ ている。  従って、『ガラスの動物園』の中の「追憶」は、ここでは、トム個人のそ れを超えて、おそらく2XXX年から振り返る「地球の記憶」になる。原作 とは違って、現在と過去との時間差は気が遠くなるほど長大だ。  だが、枠の中――昔の華やかな生活の記憶から抜け切れず、子供たちには かない夢をかけるアマンダ(銀粉蝶)、脚が悪く、ガラスの動物の世界に閉 じ籠る婚期の遅れた内気なローラ(川相真紀子)、製靴会社の倉庫勤めにあ きたらず、見果てぬ夢を追う詩人気質のトム(鳥居靖史)、束の間ローラと アマンダに甘い夢を見せて立ち去るジム(沖田乱)――は原作にほぼ忠実に 演じられる。  だが、そこはブリキの自発団、筋は忠実にたどりながらも、随所にこの劇 団ならではの奇想天外な場面を織り込む。戯曲を深く読み込んだうえでの独 自な解釈、細やかでいて大胆な演出が見られる。  たとえば、ジムの訪問に心を踊らせるアマンダは、原作では娘時代のドレ スを着て現れるのだが、ブリキ版ではなんと、ディズニー・アニメの白雪姫 の扮装なのだ(トラファルマドル星人が、地球から手当たり次第に略奪して きた物品の中から、間に合わせで衣裳を選ばねばならなかったから)!  だが、こんなとんでもないことをしても、原作を揶揄するパロディに堕す ることはない。芯のところで原作を尊重していることが伝わってくるからだ。  深い読み込みによる優れた原作変更の例。ローラのもうひとつの現実逃避 は、父が残していった古いレコードなのだが、ジムが登場してからのローラ は、原作の指定以上に度々これをかける。  しかもひとつの曲が終わる前に次の曲を、そして、また次の曲を、という 具合。この行為によって、彼女の不安、興奮、神経症的な資質が分かるうえ に、その中に、かつてハイスクール時代にジムがオペレッタで歌った曲があ り、ふたりの心が近寄るバックグラウンド・ミュージックになる。そして、 ワルツの曲も。そこでジムは、「踊ろう」とローラを誘う。原作では、近所 のダンスホールから流れてくるワルツに乗って踊るのだが。  そして、要の「ガラスの動物園」が素晴らしい。ローラがライティング・ ビューローの蓋を開けると、そこは明りのともったミニチュアの宇宙空間。 背景には輝く輪をまとった土星がその半身をのぞかせている。動物たちは中 央のガラスのドームの中に点在している。小さく可憐な装置の大きな効果だ。  また、原作のトムは、過去を振り切るために幕切れの独白の最後で「その 蝋燭を吹き消してくれ、ローラ」と追憶の姉に呼びかけるのだが、ここでの 語り手は「消さないで!」と声を殺して叫ぶように言う。地球の記憶をいつ までも留めておきたいのだ。その瞬間、それまで闇だった舞台の背景に、ミ ニチュアと相似形の宇宙が広がる。  光年単位に引き伸ばされた空間と時間の中に『ガラスの動物園』を置くこ とによって、小さな地球の小さな人間たちのいとおしさが一層強まった『ガ ラスの動物園』である。