h4_3 器との真剣勝負――藤沢市自主文化事業『更地』  神奈川県藤沢市に湘南台文化センター市民シアターがオープンしたのは一 九九〇年十月。元転形劇場を主宰していた劇作家・演出家の太田省吾を芸術 監督に迎え、芝居やダンスの公演を行ってきたが、私が初めてこの「球体の 劇場」の観客席に坐ったのは、勅使河原三郎のダンス公演のときだった。 難しい劇場だなと、思った。球体というだけでも難しさ十分なうえに、そ れがとてつもなく大きいのだ。設計者の長谷川逸子がこの劇場を「宇宙儀」 と呼んでいるように、急傾斜の摺り鉢状の客席に入った途端に、気分は異次 元である。黒い宇宙船の内部に迷いこんだような、また太陽系のはずれに身 を置いて、暗い宇宙空間に浮かぶ舞台という惑星を見つめているような――。  ステージの「たっぱ」は桁外れに高く、見上げれば球体の頂きの天井には 無数の客電用のライトが円形の星座をなして填め込まれている。まさしく天 球だ。  客席に向って半円形に張り出したステージも黒。人物であれ物であれ易々 と呑み込んでしまう黒々とした広さ。  あらゆる物体を、あらゆる動きを、微小でちまちましたものに見せてしま いかねないこの「難しい」空間で、『更地』は上演された。太田省吾の作・ 演出である。 『更地』のパンフレットに載っている岸田今日子との対談の中で、太田は 「この劇場は夜空の下をイメージさせる」と語っているが、『更地』はその イメージが豊かに広がった優れた舞台となった。  舞台前には、ステンレス張りの流し台、白い便器、コンクリート・ブロッ ク、窓枠、古材、籐のバスケットなどが等間隔に行儀よく並んでいる。そこ へ、寝間着の上からコートを羽織っただけの中年夫婦(瀬川哲也、岸田今日 子)が歩み入ってくる。夫の「旅に出よう」という誘いに妻も乗り、ふたり して深夜の更地にやってきたのだ。二十五年にわたる彼らの生活を容れてい た家は解体され、舞台前に並んでいるのはその名残りというわけだ。  二人はコートを脱ぎ、古材やブロックを更地の上に置きなおし、かつての 家を束の間よみがえらせる。そして、それをもとに各々が生まれたときから の過去を振り返る。それぞれの初恋、二人の出会い、子どもが生まれてから ……。  おそらく二人は今、新居が完成するまでこの近所に仮住まいしているのだ ろう。寝間着にコートといういでたちや、妻が持ってきた夕食の残りのスパ ゲッティの「お弁当」がそれを物語る。夫の酔狂で始まったほんの数分の散 歩が、時間を遡る長い「旅」になるのだ。「ふたつの場所を隔てるのに、時 間ほど遠い距離はない」という、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物 園』の台詞が思い出される。  この「旅」の最も美しい場面、それは、夫の「なにもかも、なくしてみる んだよ」という言葉をきっかけに、二人して舞台全面を白い布で覆い、その 上で過去を呼び戻す場面である。舞台奥に太い直線となって畳まれていた布 が、寄せる波のように手前にさあっと広がってくる。白い布は、昔の家の名 残りをすっぽりと覆い尽くす。物理的な更地が、まっさらな人生の更地にな る。布の下にもぐり込んでは様々な物を取り出してくる二人は、まるで「ご っこ遊び」に興じている無垢な子供のようだ。そうやって取り出された物た ちは、時間の中から蘇る。記憶追憶を纏って、改めて白をバックに置かれた 帽子やバスケットは、生き生きとしたまるで違った相貌を見せる。この巨大 空間の中で、そういった「小さなもの」に観客の視線と思いを集中させる素 晴らしい演出だ。舞台美術を担当した内藤礼の功績も讃えなくてはならない。  言うまでもなく小さいのは物だけではない。人間も小さい。だが、ここで はその「小ささ」や生のはかなさは、それらのいとおしさにつながる。岸田 と瀬川はこの巨大空間にいささかもたじろぐことなく、むしろその巨きさを 楽しんでいるかのようののびのびと演じ、そんないとおしさを私たち観客に 伝えてくれた。  優れた象徴性、抽象性を帯びながら、「生活」という時間を送ったことの ある人なら誰もが「思い当ること」のある芝居。遠い彼方の人工衛星か何か から、精度の高い望遠鏡で人間を見据えた芝居。超ロング・ショットとクロ ーズ・アップを同時に獲得している。先に述べた「難しさ」の所以であるこ の空間の宇宙的なまでの広がりを、むしろ積極的に生かすという果敢な姿勢 が成功したのだ。