h4_1 恋愛、情事そして金――MODE『今宵かぎりは』  今どき『椿姫』? デュマ・フィス原作のこの恋愛悲劇を上演しようとす る劇団があって、その中の人間関係と劇中の人物関係とを重ねてみせるんで すって? でも、それならアントニオ・ガデスの映画『カルメン』と似たよ うな発想じゃない。うまくいくのかなあ――といった見る前の不安材料は、 舞台を見ているうちにたちまち消えた。  松本修構成・演出によるMODE公演『今宵かぎりは――デュマ・フィス 「椿姫」より』。  これまでもMODEは、チェーホフの『三人姉妹』『ワーニャ伯父さん』 『桜の園』、そしてテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』などを今 現在の私たち日本人の生活に思い切り引き寄せ、笑いと苦さと情感にあふれ た好舞台を作ってきたが、今回も同じアプローチの試みが成功した。  青山円形劇場の円形の舞台、木目の浮いた幅の狭い板が全面に張られ、渋 い。そこに点在するのは、白と黒に塗り分けられた大きな立方体(場面に応 じてこれらのキューブは様々に組み合わされ、椅子やベンチやベッドになる)、 モダン・リヴィング風な洒落た小ぶりのフロア・スタンドが四つ、そして端 と端に向い合うようにして立つ日本のガス灯が、十九世紀のパリを偲ばせる という仕立てである。シンプルで洗練された装置だ。  観客はその舞台を同心円状にぐるりと取り囲み、出を待つ役者たちも最前 列に控えている。舞台と客席は文字どおりひとつの空間である。  始まりは劇団内のオーディション風景。誰がマグリッド・ゴーチエになる か、誰がアルマンの役を獲得するか。稽古が進行するうちに、研究生と正座 員の関係、俳優や演出家の間の恋愛関係、女優たちが生活費を稼ぐためのア ルバイトのことなどが、ちょっとオーバーに戯画化されて描かれる。恋愛お よび情事と金。これが劇団員の日常と『椿姫』の世界をつなぐ紐帯だ。  男と女の惚れたはれた、結ばれる歓び、不信、嫉妬、別れる切れる――時 代と状況は変わってもおんなじねえ、というあれこれが、『椿姫』のひとつ の台詞をきっかけとしたり、またヴェルディのオペラのアリアをバックにし て、向こう(劇)とこちら(今の現実)を行き来する。両者がダブったりズ レたりしながら……。ソプラノやテノールの朗々たる歌声と台詞、そしてフ ェイド・アウト、フェイド・イン、暗転などが巧みにからみ合った場面転換 は、ときに痛烈な皮肉が効いて、ため息が出るほど見事である。  そして金。おんなじであっておんなじでないのはこれである。いまや女子 大生はおろか女子高校生、いや中学生の中にすらお小遣いほしさに体を売る 者がいるそうな。今ほど広く性や擬似恋愛が商品として売り買いされる時代 もないのではあるまいか。売春の一般化。そのくせ、と言うより、それだか らこそなのかもしれないが、純愛が希求される昨今である。 『今宵かぎりは』はそういうコンテクストの中に『椿姫』を填め込んだわけ だ。現代と劇世界の過去がお互いを照らし合い、今でなくてはの『椿姫』、 と納得する。  いつもながら役者たちが生き生きと魅力的。舞台上の某劇団の俳優たちの 名前はMODEの俳優たちの実名そのままということもあって、彼らの素顔 が巧みにフィクショナライズされ、虚実のゲームを観客も楽しむ。  ひとつだけ注文をつけるとすれば幕切れだ。終わりに近づくにつれて『椿 姫』の世界が優勢になるのはいいとしても、そのまま「幕」となり、劇団の 話はどこかへ行ったきりなのだ。  アルマンの投げつけた札束が紙吹雪となってマルグリットに降り掛かり、 彼女はひとりそれをかき集めて胸に抱く。泣き笑いしているのはマルグリッ トなのか、彼女を演じる女優なのか――どちらとも取れる。そこをあえて曖 昧にして劇と現実を再び重ねるという狙いなのかもしれないが、それにして は詰めが甘い。せめてお札を外国紙幣(フランのつもり?)ではなく、一万 円札にすれば……。  現実の男女関係のこじれのせいで芝居がハチャメチャになるという結末だ とマイケル・フレインの喜劇『ノイゼズ・オフ』になってしまうのだけれど、 そこまで行かずとも、もうひとひねりして、劇と現実のダブリとズレを最後 にもう一度効かせてほしかった。