h3_7 観客だけが知っている――東京壱組『箱の中身』 「すべての退場はどこか別の場所への登場」というのは、トム・ストッパー ドがシェイクスピアの『ハムレット』を裏返しにして書いた『ローゼンクラ ンツとギルデンスターンは死んだ』の鍵とも言うべき台詞である。  アラン・エイクボーンはこれと同じ考えに基づいて『ノーマンの征服』三 部作を書いた。第一部のある場面におけるある人物の退場が、二部、三部に おいて第一部の場面とは「別の場所への登場」となり、三部全部を通して見 る(読む)と、同じ時間帯にすべての人物がどこで誰と何をしていたのかが 分かる仕掛けになっている。登場人物自身には不明である事態の全貌が観客 には掴め、観客は一種特権的な立場を楽しむことができる。  東京壱組の『箱の中身』にもこれに通じる仕掛けがほどこされている。  幕が開いてしばらくの間は、死んで地獄に落ちた男が生前のあれこれを閻 魔大王に問い詰められているところと見えるはずだ。それにしては閻魔大王 の質問がちょっとヘンだし、そばで巨大な鉛筆を持った赤鬼がその応答をい ちいち記録に取っている様子も妙である。そのうちに、普段着のこの冴えな い中年男と瓜ふたつのもうひとりの男が現れる。閻魔様にはあとから現れた 男の姿や言葉が見えも聞こえもしないらしい。これまた閻魔様のくせにヘン ではないか。  などと思っているうちに分かってくるのは、「ヘン」なのは主人公である 時計屋の佐藤さん(有福正志)の頭であり、「ボブ・長谷川」と名乗るもう ひとりの男(大谷亮介)は佐藤さんのオルター・エゴであり、この場が地獄 でも天国でもなく、彼が精神鑑定を受けている警察病院の一室であり、佐藤 さんの妻・えみ子(安藤亮二・田口智恵のダブル・キャスト)が何者かに殺 されたらしいということだ。 『箱の中身』は、この死体なき殺人事件の解明の劇なのだが、事件が解きほ ぐされてゆくにつれ、人間という「箱」の「中身」も明らかになってくる。  精神科医が閻魔大王や神様の姿に見えるのは主人公の歪んでしまった精神 の映しであり、また、己れの分身を目の当たりにして対話するのは彼の妄想 である。そこに彼の回想として妻とのやりとりが挿み込まれ、彼が妻につい て思い出したくないこと、直視しまいとしてきたことがおぼろ気に浮び上が ってくる――妻には男がいたらしい。佐藤さんはえみ子を殺したのか?  主人公の心の情景、過去の出来事、彼が置かれている現在の状況など、心 の「内」と「外」とを立体的に組み合わせた劇の作り方(作・原田宗典、演 出・大谷亮介)が面白い。  二幕になって場面は一転、留置場の中である。一幕でひとりの人間の正反 対の面を演じた有福と大谷が、ここではかつてチャンピオンの座を争った元 ボクサーの川村(有福)と秋山(大谷)として登場する。  前の幕とは一見なんの関係もなさそうに見えながら、秋山の回想の中に佐 藤の妻えみ子が登場してふたつの幕をつなぐ。一幕で退場したえみ子がどう いう「別の場所」に登場していたかが明らかになる。その「別の場所」こそ がそのまま佐藤さんの「思い出したくないこと、直視しまいとしてきたこと」 なのだった――えみ子の「男」が秋山であり、彼が彼女を死に追いやったと いうこと(佐藤自身とは対照的な彼のオルター・エゴと秋山とを共に大谷が 演じ、共に軽くて根アカでいい加減な人物として造形してあるのは、そこに えみ子という補助線を引いてみると大きな説得力を持つ)  秋山がすべてを打ち開ける川村が実は刑事であることは、二幕の途中で観 客にも予想がついてしまう(と思う)のだが、それがはっきりする瞬間を変 にドラマチックにしていないので救われる。  事件の謎解きと人の心の謎解きが巧みに絡み合ったスリリングな舞台であ る。