h3_6 治癒の力が紡ぐもの ――松竹ベニサン・ピット公演『薔薇の花束の秘密』  客席に一歩足を踏み入れた途端に、その場の「白さ」にほとんど呆然とし てしまう。  劇が始まる前から観客の目にさらされている舞台の白さ――床、壁、天井、 ベッドなどの舞台装置――は言うに及ばず、観客席の床から周囲に張り巡ら した布や生い繁る蔦、階段状に並んだ椅子にいたるまで何もかもが白一色な のだ。こうと知っていたら白い服を着てきたのに……。  まるで真っ白なカンヴァスに画家が筆を置いていくように、劇の進行につ れて白い舞台にひとつひとつ色が入る。ベッドの掛け布、ガウン、ナイトテ ーブルを飾る薔薇、という風に。その色も深紅と黒に限定されている。厳密 に計算されたコンポジションの美しさはただごとではない。  劇の進行と言ったが、それは、舞台に登場するふたりの女の過去が次第に 明らかになり、患者とその付添婦という彼女たちの関係に血が通い出すにつ れ、ということである。もっとも、おずおずと通い始めたこの「血」は、と きにはほとんど止まったり、ときには逆流しそうになったりするのだが。  一九九〇年に亡くなったアルゼンチンの作家マヌエル・プイグが『蜘蛛女 のキス』に続いて書いた『薔薇の花束の秘密』(初演は一九八七年、ロンド ン)を、演出家のロバート・アラン・アッカーマンは張り詰めた緊張感を片 ときも緩めずに描き出す。  年老いた金持ちの患者を演じるのは李麗仙、中年の付添婦は佐藤オリエ。 だが患者の夢や付添婦のもの思いの形ではさみ込まれるフラッシュバックの 中では、李は付添婦の母親に、佐藤は患者の妹や娘に変身する。  白いクロゼットがいきなりバンと開き、その瞬間照明も冷たく硬質になる。 そこから流れ出す過去。壁ひとつを占めるほどの大きなブラインドがバサッ という音とともに裏返る。照明も変わる。現実の時間とフラッシュバックと の歯切れのいい切り替えだ。  最愛の孫を失った患者と母を亡くしたばかりの付添婦はともに暗い喪失感 を抱き、身近な者たちの裏切りや実現できなかった望みなどでともに深く傷 ついている。だがそれぞれの立場は癒されるべき者と癒すべき者。何ひとつ 思いどおりにはならなかったとかたくなに心を閉じている患者に、それでも 神が薔薇の花束を差し出してくれたときがあったことを付添婦が気づかせる 瞬間、ふたりの心は初めて触れ合う。「あなた、名前はなんていうの?」と いう患者の問いがそれを表す。ふっと空気が柔らかく溶けたと思いきや、生 まれたばかりの信頼と心の通い合いにきびすを接して付添婦の嘘が露呈する。 それを知った患者が企む意地の悪い復讐。  こうして、病室の限定された空間の中で過去と現在が入り混じり、ふたり の女の関係の変化がスリリングに展開する。見事に伏線を張り、最後のどん でん返しまで息もつかせずもって行く緻密な戯曲である。  どれほど人生に裏切られても、ひとは何かが「信じられる」と感じれば、 たとえそれが気配でしかなくてもそちらを向く。ほんとうは信じたくて信じ たくてたまらない。失望に対するおびえと裏腹でも希望を持ちたいのだ。  癒される立場にある者も、癒す立場に自らを置いてはじめて真に癒される。 優しさを紡ぎだすゆとりが生まれる。  それまではどちらも死ばかりを見つめていたふたりが、癒し合うことによ ってともに生の方に向き直る幕切れには心を動かさずにいられない。  舞台に色が入るごとに美しくなり、幾人もの女を多面的に演じたふたりの 女優の演技は見応えがある。  秋には同じアッカーマンの演出で『蜘蛛女のキス』が上演され、『薔薇の 花束の秘密』も再演されるそうだ。一見をお勧めする。  装置:朝倉摂、衣裳・黒須はな子、翻訳・吉田美枝。 (3月9日―4月14日 ベニサン・ピット)