h3_5 入れ子箱は柔構造 ――善人会議『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』  薄明のなかの古風な病室。ベッドの夜具から突き出た素足がちょこちょこ 動く。寝ていた男がベッドから起きだしても足はそのままだ。あれ、寝てた のは一人じゃなくて二人だったんだ! 小さなどんでん返し。男はその足の 主に向って「道化よ、起きろ」と呼びかける。厚着をしたうえ更にマントを 羽織った「王様」(岡森諦)と道化(有馬自由)は嵐の荒野へと歩み出す。 狂ったリア王と道化として――。劇団善人会議の新作『愚者には見えないラ ・マンチャの王様の裸』(作・演出横内謙介)の、現と悪夢が重なり合った スリリングにして不安な幕開きである。  題名からも察しがつくように、この劇はセルヴァンテスの『ドン・キホー テ』、それを下敷きとしたミュージカル『ラ・マンチャの男』、アンデルセ ンの童話『裸の王様』を重層的に織り込んだもので、すでに述べたとおり 『リア王』のイメージまでもが加えられている。  十年前、衆目に裸の姿を晒し国中の笑いものになった王様は、「王様は裸 だ」と言う子供の叫び声と人々の嘲りから身を隠し狂気の中に逃げ込んでい るが、夜な夜な悪夢に悩まされ、それから逃れようと道化を従えて嵐の荒野 というもうひとつの悪夢の中を彷徨う。そこで出会った主を無くしたサンチ ョ・パンサと共にとある宿屋にたどり着く。宿屋には、旅芸人が宿代も払え ず長逗留をしており、裸の王様の行進以来この国では「目に見えるものだけ がすべて」になってしまったと嘆く。 「そして人々は皆んな、あの子の真似を始めた。『本当のこと言い合いっこ』 だ。(中略)そして、そのことで一番ワリを食ったのが、教会の神父と私ら 芸人と言うわけでね。どちらも目には見えないものを売る商売だからね…… 私が大きな風船に掴まって、空に飛び上がるパントマイムをやると、お客た ちが叫ぶんだ。『足が着いてる! 足が着いてる!』」  ここで旅芸人が披露する風船飛びのパントマイムは改めて王様の心を動か す。観客にも風船が「見える」。ところがそれも束の間、芸人の幼い娘の高 笑いで風船は消えてしまう。  やがて王様の内なるドン・キホーテが目を覚ます。世の中を正す遍歴の旅 に出ようとする彼のために芸人はパントマイムで剣を鍛える。剣が「見える」。 が、剣をかざした王様の前にまたもや立ちはだかる娘の「キチガイ!」のひ と言が、剣をもドン・キホーテをも消してしまう。「事実は真実の敵だ」と 言う『ラ・マンチャの男』のアロンソ・キハーノが、鏡の騎士たちにうらぶ れた姿を見せつけられる場面とダブる痛切なシークエンスだ。  繰り返される幻想=夢=真実の崩壊。  だが、もっと大きなどんでん返しと「事実」による「真実」のもっと無残 な敗北の瞬間はまだこれからだ。「王様」は実は、校内暴力荒れ狂う中学で ドン・キホーテさながらに孤軍奮闘して敗れ、生徒にナイフで切りつけ、精 神異常に陥った元教師だということが明らかになるのだ。宿屋の主人夫婦や 旅芸人とその子ども、サンチョなどの扮装を脱いだ生徒たちとの夢の中での 感動的な和解の時が来る……かに見えるのだが、彼らが差し出したお詫びの プレゼント、「先生の好きなポロシャツとコットンパンツ」のケースは空っ ぽだ。おずおずと裸になり「見えない」シャツに着替える先生。彼を取り囲 む生徒たちの「見果てぬ夢」の合唱はまたもや嘲笑に変わる。  病室で目覚めた元教師は、夢の中では道化だった男で、王様の方がむしろ 分身だったという最後のどんでん返しは、彼がどれほど深く傷つき、どれほ ど遠くへ逃げようとしているかを瞬時に物語る。  入れ子箱のようになった構造を持つ劇作品は、小劇場系の芝居ではかなり 多いのだが、入れ子式の劇構造とそれによって表現されることとがこんなに も緊密に結び付いた例も珍しい。主人公がそれ以上自分の心を傷つけまいと 幾重もの妄想・狂気で鎧っている様が、どんでん返しによって明らかになる その時その時の「箱」の位相とパラレルになっているからだ。「感動」の場 面に「酷薄な事実」という水を差し続ける醒めた姿勢の中から、「愚者」と して生きようという静かな決意が伝わってくる。