h3_10 嘘は心にかかる虹――夢の遊眠社『透明人間の蒸気』 「あなたしか目に入らない」「恋してるのか?」――若い男女のこんなやり とりは、Only you!の変奏、愛の言葉の紋切り型だ。  だが、「あなたしか目に入らない」と言った女が盲目で、そう言われ「恋 してるのか?」と問い返した男が透明人間だったなら、紋切り型は骨抜きな らぬ型抜きになって、その言葉は生まれたての、芽吹いたばかりの相貌を帯 びはじめる。  野田秀樹の新作、夢の遊眠社第41回公演『透明人間の蒸気』は、透明人間 になった結婚詐欺男と目の見えない少女とのピュアな恋の物語であり、同時 に言葉に対する信・不信を語った劇だ。  舞台奥にはその全面を覆うように巨大な日章旗がかかり、まん中の日の丸 には白抜きで「ロミオとジュリエットが、悲劇で終わったのは、もう昔の話 だ」と書かれている。その蔭から一群の人々がワッと跳びだし、手をつない で輪になる。と、次の瞬間、全員が一斉に上体を前に倒し片足を上げて小き ざみに体を揺する。激しい風が彼らを煽る。  あ、スカイダイヴィングなんだ! いかにも野田芝居らしいダイナミック で稚気にあふれた幕開きの一景。  華岡軍医(羽場裕一)に率いられたこの人々は、第二次世界大戦開戦の日、 天皇から「二十世紀を千代に八千代に後世へ伝えよ」という勅命を受けた一 隊で、レコード針とか井戸、親孝行、etc といった二十世紀で消滅してしま うものを収集中(彼らの心に、この勅命は単に梨の「二十世紀」のことでは ないか、という疑問が湧き、ナシがこの芝居のひとつの鍵になる)。そのコ レクションに納めるべきアイテムのひとつが「二十世紀の肉体」というわけ で、透アキラ(段田安則)に白羽の矢が立てられる。彼は実は結婚詐欺で、 被害を受けた女たちにも追われており、鳥取砂丘まで逃げてきたところで三 重苦のヘレン・ケラ(円城寺あや)に出会う。ケラの面倒を見ているのがサ リババ先生(野田秀樹の女装はいつもながら美しくオカシイ)。透は華岡ら によってカプセルに入れられるのだが、爆発事故がもとで透明人間になって しまう。誰にも見えなくなった彼の姿は、だが、ひとりケラの目にだけはは っきりと見え、冒頭に引用した台詞が吐かれるわけだ。  鳥取砂丘と黄泉の国、銭湯の番台のこちらと向こう、「透明人間ショー」 の舞台と楽屋、などが重なり合い、絶えず反転を繰り返し、ポルターガイス トは出てくるは、イザナミノミコトや九十九の神様は出てくるわ、といった 賑やかな野田的世界だが、ロミオとジュリエットに重なる透とケラの恋は、 その賑わいの中でツツーッと胸を刺すような純度の高さを保っている。それ は、朴訥さとエエ加減さが絶妙なバランスを取っている段田の持ち味と演技、 そして、ジャスパー・ジョーンズの赤青黄のシマウマ・パッチワーク絵画が そのままミニ・ドレスになった風な衣裳を着た円城寺の可憐な一途さに負う ことが大きい。 結婚詐欺という犯罪の凶器は嘘と名付けられた言葉であり、被害者はその 嘘を真と信じたものである。透は言う。「湯水のように、嘘が湧いてでる。 それはうわの空に向っていく嘘の洪水。天に届かないことを忘れた噴水だ。 噴水はバカだから、空までの距離なんてわかりゃしない。夢中になって、噴 き上げる。噴いて噴いて噴きまくる」  透が華岡らに撃たれて死んだと思い込んだケラは、食べれば仮死状態にな り目覚めるのは百年後という21世紀ナシを食べて倒れる。約束どおり戻って きた透は、横たわるケラを見て、ロミオと同じ愚は冒さない、「二度とその 手は食わないぞ」と言いながらも、ケラの食べ残した果実を「食って」彼女 のあとを追う。だが、「ロミオとジュリエットが悲劇で終わったのは、もう 昔の話だ」という言葉どおり、ふたりはすぐに目を覚ます。なんと、果実が 嘘をついたのだった!  これに先立ち、倒れているケラの傍らで、三十六色のクレヨンのようにめ まぐるしく色を変えつつ高々と噴き上げる噴水を背に、透がケラに呼びかけ、 嘘八百つき続けるとの決意の言葉を吐く場面は、心に虹がかかったような強 い印象を残す。  嘘を通してコトバ・コトダマを信じるという、心に迫るパラドックス。 (装置・朝倉摂、衣裳・内藤こずえ)