h2_9 地の利、品の利、美人の利――『人魚伝説』  夏ならではの芝居だ。  五月の末に江の島で幕を開け、大阪や京都をまわって東京に帰ってきた劇 団新宿梁山泊の『人魚伝説』(作:鄭義信、演出:金盾進)である。  東京公演の初日は、7月18日。  暑い。  この暑いのにテント芝居は辛いナと思いながら上野の不忍池に向う。いま 新宿梁山泊は人気急上昇だから、超満員だろうし……、案の定、開演前のテ ントの周りには人がひしめいている。整理番号順に並ぶ長い列の横を劇団員 がうちわを配って歩く。アイスキャンディー売りのチリンチリンという鐘の 音が聞こえる。  ボロをまとった老婆が池のほとりに立ち、呼び子笛を吹き、遠い対岸に向 ってなにやら叫び出す。高く細い笛の音が水面を渡る。列が動き出す。  舞台の上手のベンチに坐ったこのモク拾いの老婆(金久美子)と、少年時 代にまつわる悪夢に悩まされる詩人(中村祐子)の対話から劇は始まる。三 島由紀夫の『卒塔婆小町』のような滑りだしである。だが、劇中劇のかたち で描かれるのは、老婆の過去ではなく詩人のそれ。  詩人の故郷、ウチウミと呼ばれるその猥雑な町は、海の向こうからやって きた人々が住み着いた吹きだまりである。  詩人の「人魚たちがやってくる……」という言葉で、舞台の奥が大きく開 かれると、そこは海。彼の家族が小さな船に乗って近付いてくる。  ちょうどこの日から不忍池の周囲に無数の提灯がともり、暗い水面の縁に びっしりと赤と青の光のビーズが連なって息を呑むほど美しい背景になって いる。  そんな贅沢な「装置」の中で、クズ鉄業を営む両親、ボクサーの二人の兄、 そのふたりから愛される「金魚」と呼ばれる身よりのない女、ゲイバーで働 くおかまの兄、通称「男爵」のボクシングのトレーナーとその妻、アル中の 老人などの生活が、ゴーリキーの『どん底』を思わせる群像劇となって勢い よく立ち現れてくる。  不忍池でのテント芝居というと、唐十郎と状況劇場の70年代の公演がすぐ に思い浮かぶが、この劇団の中心は、元状況の役者だった金盾進(俳優名は 金守珍)や六平直政らである。もうひとつの特徴は、在日韓国人のメンバー が多数いること。その意味で金が要になっている。  東京で発行されている在日韓国・朝鮮人を対象とした新聞『統一日報』の 劇評(7月20日)でも梁山泊を「同胞と日本の現代劇団」と紹介し、この作品 に「在日同胞の歴史と二、三世へのメッセージ」を読み取っている。  故寺山修司の映画『田園に死す』にも通じる故郷と家族に対する愛憎半ば する想い、切捨て忘れてしまいたいにもかかわらず、決して忘れることので きない日々と人々――見る者すべてにそれぞれの「ウチウミ」を蘇らせるに 違いない『人魚伝説』は、自らの過去との和解の物語である。  ズブズブで足場の悪い水底にまずコンクリート・パネルを沈めて土台を作 り、鉄パイプを組んでその上にテントを張る。大変な作業だ。その何もかも を劇団員たち自身でやってのけたのだから、すごい。その情熱と体力に敬意 を表する。  たくましくてエネルギッシュでありながら決して荒っぽくない演技を見せ る役者たちがきれいだ(女優たちは、ほかの劇団に不公平、と思うくらい美 人ぞろいである)。  客席の周りによしずを巡らし、池を借景として水をふんだんに使った『人 魚伝説』は、むしろ暑さを忘れさせてくれる涼しい劇だった。