h2_6 浮き立つリズムにながれるなみだ――『上海バンスキング』  私のアタマの中では今もまだ「ウェルカム上海」のメロディと、心の肌に 優しくまとわりつくような吉田日出子の歌声が響いている。  オンシアター自由劇場の『上海バンスキング』を見ているときの、そして 見終わったときの幸福感は格別のものだ。81年と83年に銀座の博品館劇場で 見た時もそうだったし、今また渋谷Bunkamura のシアター・コクーンで七年 ぶりに再会した舞台(4月12日―5月6日)もやはり至福への「ウェルカム!」 だった。  客席の階段状の通路に並んだジャズ・プレイヤーたちがトランペットやト ロンボーンに最初の息を吹き込む瞬間に、その幸福回路のスイッチは入る。 まるで観客全員が一度にふわっと浮き上がるような感じ。同時にまばゆく輝 きだすステージは、もう一九三〇年代の上海のダンスホール「セントルイス」 だ。  劇の中ではジャズ・プレイヤーだが、彼らはみんな自由劇場の劇団員。そ の手作りの音楽がこのミュージカルの魅力の大きな要素になっている。  物語は、バンドマン波多野(串田和美、演出も)とその妻まどか(吉田日 出子)を中心にして上海租界の一九三六年から四五年までをたどる。その間 に起こる日中戦争、第二次世界大戦。  ハネムーンを兼ねてパリへ行くはずだったにもかかわらず、新婚早々の妻 をだまして上海に腰を落ち着けてしまった波多野の夢はジャズ。東洋のジャ ズのメッカ上海でなら自由にクラリネットが吹けるというわけだ。彼の親友 でトランペット吹きのバクマツ(笹野高史)の窮状を救うために、まどかも セントルイスで歌うことになる。  だが、このダンスホールにも否応なしに戦争が暗い影を落し始める。  日本軍に接収されたホールで、陸軍将校が部下に何ごとかをささやき、彼 がそれをバンドマスターに伝える。するとバンドのメンバーは一斉に直立不 動の姿勢になって「海征かば」を演奏しだす。ところが途中からそのリズム がスイングしはじめるのだ。  一言の台詞もなく、演奏だけで、なんと多くを語るシークエンスだったこ とか。怖くて痛快で……。  まどかを密かに思う白井大尉は満州・ソ連国境の戦地へ。そして、中国人 の歌手リリーと結婚したバクマツにも赤紙が来る。セントルイスも閉鎖。  ジャズができなくなった波多野はアヘンに手を出す。  まどかの留守中に、彼がアヘンを喫って幻覚を見る場面の迫力には息を呑 む。  舞台一面を覆う大きな深紅の絹布が、まるで血に染まった帆船の帆のよう に空気を一杯にはらんでふくれ上がる。うねる。しぼむ。またふくらむ。そ の柔らかな波の中に、気を失ったような姿で白井に抱かれたまどかが現れ、 消えてゆく。うつむいてたたずむ中国人の群れ。巨大なシラミの群れ。  夢破れた波多野の荒廃した精神状態を、これまた無言のうちに鬼気迫る美 しさで描き出すこのシーンは、シアター・コクーンの舞台で一段と見事なも のに仕上がっていた。  終戦。せっかく生きて南方の戦地から戻ってきたのに、バクマツは上海に 向かう汽車から転落して死んでしまう。お骨を抱えてしょんぼり帰ってくる リリー。がらんとした部屋で、アヘンのために廃人のようになった波多野の 傍らに立つまどかの胸に、幸せなジャズの日々が蘇ってくる。  そこここから楽器を手にしたバクマツを始めとするジャズメンたちが現れ る。湧き上がる「ウェルカム上海」のメロディ、浮き立つようなリズム。  はっきり言って私は泣いた。洩れ出る声を必死で抑えるあまり体が震えて きた。だがそれは「かわいそう」の涙ではない。彼女と追憶を共にする幸福 の涙だった。  斎藤憐の戯曲、数々のジャズ・ナンバー、越部信義のオリジナル曲、串田 の演出と美術、劇団員の演奏、そして吉田日出子の歌とおっとり上品な演技 ――これらが希有なかたちで一体となった『上海バンスキング』にはどれだ け拍手をしてもしたりないくらいだ。