h2_5 「墓穴」と「幕」による独創的な演出 −リェビーモフ演出『ハムレット』  いきなり二人の墓堀りの登場である。  彼らは陰気かつ陽気な調子で舞台前中央に墓を堀り始める。四角い穴の両側 に土がたまってゆく。この墓は、私たちの視界から決して消えることはない。  これはまさしくメメント・モーリの『ハムレット』なのだ。埋葬されるオフ ィーリアは言うまでもなく、罪に様々な人物がこの墓に転がり込む。大道芸人 めいた旅役者たちの演じる劇中劇の王までもが……。  先月号に続き、また『ハムレット』か、と言われそうだが、「また」なので す。それどころか、今年は「またまた」「またまた、また」になるかもしれな い。何しろその後チェックしたところ、’90年に日本で上映される『ハムレ ット』の数は更に二本増え、全部で十四本にのぽるのだから。  その中でもこの『ハムレット』は、演出の独創においては恐らく他の追随を 許さないだろう。  この『ハムレット』とは、ぺレストロイカで国外追放を解かれたソ畑の演出 家ユーリー・リュビーモツが手掛けた舞台。  リュピーモフは、’71年に今は亡き伝説的名優ウラジミール・ヴィソツキ ーを主役に据え、モスクワのタガンカ劇場で『ハムレット』を上演したのだが、 3月23日に銀座のセゾン劇場で幕を開けたのは、昨年彼がイギリスの俳優た ちを使ってそれを再現したものである。  初演からほぽ二十年も経っているというのに、そんな歳月は全く感じられず、 何から何まで驚くほど新鮮だ。  常にそこにある墓穴とともに、この舞台を支配するのは巨大な墓である。  ほとんどロープと言ってもいいくらいの太さの紐で編み上げられた、ソフト ・スカルプチャーとも言うぺき重量感のあるこの墓は、時と状況に応じて回転 したり、客席に対して直角に垂れたまま上手から下手へ、下手から上手へと、 登場人物をなぎ倒さんばかりの勢いで移動したり、また舞台全面を覆ったりす る。逆光を浴びると、まるで全ての色彩が失せたフンデルトワッサーの絵のよ うに、ダイナミックな透かし模様が浮かび上がる。  それは壁であり、超自然の力であり、また、権力や運命とも読みとれる。人 々がこの墓のこちら側から向こう側へ、向こうからこちらへ動くとき、その裾 をスコップで持ち上げて通り□をつけるのは二人の墓堀りたちだ。誰もが常に この墓の裏側を気にかけており、絶えず編目から向こうをのぞいたり、裾を上 げて反対側を窺ったりしている。監視する視線のために片時も真の安らぎを得 られないのはハムレットひとりではないのだった。  最後にハムレットが復讐を遂げるときも、全ての死者(先王の亡霊、ポロー ニアス、オフィーリア、口ーゼンクランツとギルデンスターン)によって裏側 から墓ごと押されるかたちでクローディアスはハムレットの剣を浴びる。(ベ ルイマンも、亡霊がクローデイアスを後ろから羽がい締めにするという演出を 取ったが、リュピーモフはかれよりずっと前にもっと過敷な解釈をしていたわ けだ)。 「主役」の地位をも奪いかねないこの墓の支配力、床から放射状に射し昇る光、 幕や舞台奥のメタリックな壁などに映る影、効果的なサウンド−その中の登場 人物たちの動きは実に美しい。ほとんどダンスの振付けと言ってもいいくらい だ。すべて毛糸編みの衣装や抑えた色彩などを含め、これほど美的に構成され た『ハムレット』は見たことがない。従って、へ夕をすると俳優たちは「人形」 になりかねないのだが、ちょっと一本調子なのが気になるもののハムレット (ダニエル・ウェッブ)も可憐なオフィーリア(ヴェロニ力・スマート)も、 大胆な演出に拮抗する力を見せてれた。  大胆と言えば、台詞のカットの仕方やその入れ換えも大胆そのもの。たとえ ば、この『ハムレット』にはフォーティンブラスは登場しない。ハムレットが 死に、あたかも全ては無に帰し、次の時代などない、といった荒涼感のうちに 劇は閉じるのだ。(フォーティンブラスがホレイショーを銃殺してしまうペル イマンの演出も、別の意味の荒涼感をもたらしたものだが)。  リュビーモフの『ハムレット』は、この芝居の上映史上忘れてならない金字 塔であることは間違いないだろう。