h2_10 楽土の夢――利賀フェス'90『ニッポン・ウォーズ』  東西ドイツの併合も目前であり、ソ連国営航空のアエロフロートが株式会 社に生まれ変わる話も出ており、文字どおり右も左も分からなくなっている 今、「インターナショナル」を国歌とするニッポン資本主義共和国連邦を背 景とした『ニッポン・ウォーズ』は、まさしく現在につながる近未来劇だ。 八月初め、富山県利賀村で開かれた利賀フェスティバル'90において、アメリ カ、オーストラリア、日本の俳優たちによって演じられた舞台を振り返り、 改めてそう思う。  川村毅作・演出によって第三エロチカがこの作品を初演したのは一九八四 年だが、その後紀伊國屋ホールで再演され、八六年には第五回利賀フェステ ィバルでも、今回と同じ野外劇場で池と山を背景に大きなスケールで上演さ れた。八七年には、ヨーロッパ公演のために準備したが実現しなかった英語 版を新宿のシアター・アプルで披露したが、怒鳴るばかりの英語の台詞は何 を言っているのやらさっぱり分からず、演技の荒っぽさを目立たせるだけで、 これは企画がオジャンになったほうがこの劇団のためにも、この優れた戯曲 のためにもかえってよかったと、芝居の出来にがっくりきつつほっとしたも のだ。  だが、この試みは、今回のネイティヴ・スピーカーによる英語版上演にと っては貴重な礎石だったと言えるだろう。 『ニッポン・ウォーズ』の登場人物はアンドロイドで、彼らは潜水艦〈シロ ナガスクジラ〉のなかで軍事訓練を受けている。そこへ召集令状を手にした 過激派テロリストの青年が迷い込む。やがて彼自身もアンドロイドであり、 彼らの記憶はすべてマスターコンピューターによってインプットされたもの であることが分かってくる。それだけではない。彼らがこの管理体制に反旗 を翻し、各々のブレイン・パワーを結集させて「自発的に」行動を起こした はずの反乱すら、完全なアンドロイドになるためのレッスンの一過程、「反 乱という名のプログラミング」だったというどんでん返し。  これは、機構のネットワークによって巧妙に管理された今日の社会を反映 していると同時に、テレビやファミコンなどの情報テクノロジーやシミュレ ーション・ゲームなどのせいで実体験よりも擬似体験のほうが肥大化してし まい、情報としてインプットされたものと、個の生まの体験によって刻み込 まれた記憶との境界が曖昧になっている私たち自身の映しである。  舞台下手奥から対岸に向って、暗い池の面を切るようにまっすぐに板の道 がつけられ、そこを大型のオートバイが走ってくる。この構造や幕開きは新 しいが、基本的な演出は今までの『ニッポン・ウォーズ』と変らない。  だが今回の舞台がとりわけ面白かったのは、十人のアメリカ、オーストラ リアの俳優と三人の日本人俳優という編成と、英語日本語の混在(「Three cheers,Banzai,Banzai,Banzai!」翻訳は河合祥一郎とリアン・インガルスラ ッド。賢明にも日本人俳優の台詞は全部日本語。ただし「大いなる頭脳」ス ー・エレンの声は別で、いくら国籍不明のエイゴを意図したとは言え、もう 少しましな発音にできなかったものか)によって、この芝居の一種の無国籍 性が際立ったこと、そして幅広い年齢層にわたる外国人俳優の演技によって、 これまでの『ニッポン・ウォーズ』に見られた「ガキっぽさ」(ごめん)が 完全に払拭され、大人の芝居になっていたこと、だ。  アメリカの俳優たちはすべて鈴木忠志の薫陶を受けた実力者ぞろい、プロ デュースの主体は「利賀フェスティバル」、という下地があってはじめて可 能になったプロジェクトと言えるのだが、それを十分に生かした川村毅の力 は頼もしい。  改めて彼ら自身の戦争に向うために、アンドロイドたちが静かに池を泳ぎ わたってゆくラストは多くを語る美しいシーンだ。