1.7 ラ・マンチャの男は懲りない  夢は、夢であるが故に「現実」の前に必ず破れる。だが、夢は、夢であるが 故に必ずまた息を吹き返す。人は懲りずに夢を見る。  ミュージカル『ラ・マンチャの男』との四年ぶりの再会(4月7日―5月28日、 東京・青山劇場)。いま、時代そのものが年をとってきて、ますます夢を見に くくする「現実」の包囲が固まっているだけに、改めてこの優れた舞台の力に 心を動かされた。夢の死火山だと思い込んでいる者にも、少なくとも休火山だ ったことを思い知らす力である。  客席に向かって大きく張り出した円形の舞台は地下牢だ。囚人たちが蠢く暗 がりに、アップステージの遥か上方から跳ね橋の片割れのような梯子がしずし ずと降りてくる。新入りの囚人の投獄だ。これから宗教裁判にかけられようと しているセルバンテス(松本幸四郎)とその従者である。彼は、身の証を立てる ために囚人たちを巻き込んで自作の芝居を演じることにする。その芝居が、ア ロンソ・キハーノという郷士が夢見るドン・キホーテの物語。この三重構造が、 彼の夢を堅固に守る。  セルバンテスが狂気の騎士のメーキャップをすませ、馬とロバの頭を被った 二人の男を左右に従え、軽やかに勇壮に「我こそはドン・キホーテ、ラ・マン チャの騎士……」と歌い出した途端に、もういけない。胸が熱くなり、その熱 い何かがウッとこみ上げてくる。妄想への果敢な旅立ち。  この「ラ・マンチャの男」に始まり「見果てぬ夢」を頂点とする数々のミュ ージカル・ナンバーが、どれを取ってもすぐ口ずさめるほどの記憶貫入力を持 っているのも特筆に値する。  ドン・キホーテをアロンソ・キハーノに引き戻そうとするのは、キハーノの 姪の婚約者カラスコ博士で、彼が鏡の騎士に扮し、他の騎士たちとともに大き な鏡の盾をかざしてドン・キホーテをぐるりと取り囲むシーンは圧巻だ。狂気 と正気の闘い、妄想(夢)と現実の闘い。鏡に映った己の老残の姿を見て彼は敗 北する。瀕死の床に横たわるキハーノを訪ねてくるのは、ドン・キホーテに思 い姫ドルシネアと慕われていたあばずれ女のアルドンサ(上月晃)。彼女の必死 の呼びかけで、キハーノは自分がドン・キホーテだったことを思い出す。彼の 死で劇中劇は終わり、セルバンテスは喚問に答えて裁判所に向かうのだが、彼 とキハーノとドン・キホーテの「見果てぬ夢」はアルドンサ(に扮した女)に引 き継がれ、やがて囚人すべてによってこの歌が歌われるうちに幕となる。 『ラ・マンチャの男』の初演は二十年前、幸四郎がまだ「染五郎」だった二十 七歳のときで、今回の千秋楽で公演数は五五九回。D・ワッサーマンの脚本、 M・レイの音楽の素晴らしさもさることながら、なんと言っても幸四郎という 希有な役者がいて初めて可能になっことだ。これからも繰り返して演じてもら いたい。その度に私は劇場に足を運ぶだろう。