S64_2 ホントに犯罪なんです!  誘拐という犯罪を成立させるには人と人との信頼が必要不可欠……山崎哲 と転位・21の犯罪フィールドノート劇の最新作『パパは誘拐犯――芦屋令嬢 誘拐事件』(11月18日〜12月5日、下北沢、ザ・スズナリ)はそんなパラドック スを露わにしてみせた。「信頼」が言いすぎならば、人が人の言葉を信じる こと。  というのも、ここでは誘拐された娘が犯人に促されて家に電話をかけ「あ たし、誘拐されたの」と言っても、家族はとりあわない。彼女が恋人とグル になって、結婚を許して貰うために仕組んだ狂言だと思われてしまうのだ。 犯人もまた「芦屋のお嬢さんを誘拐した」と彼の妻や娘たちに打ち明けても、 まさかパパが、と信じて貰えない。  そこで、これをれっきとした誘拐事件にするための犯人と被害者との奇妙 な奮励努力が始まる。いや、そもそも当人たちにも「事件」のリアリティが 感じられないふうで、電話をするときも「泣かなくていいんですか?」「泣く ってなんだ」「あたしです。あたし泣いた方がいいんじゃないですか、少し。 ……不自然じゃないですか、泣かないと。だってあたし誘拐されてるんです、 いま」……「わかった、泣け」「ええ、泣きますね、少し」といった珍妙な やりとりが二人のあいだで交わされる。ありうべき被害者と犯人になるため に。こうなるともう、くわえタバコの伝兵衛不在の『熱海殺人事件』だ。  まがりなりにも「誘拐」を信じているこの二人を除く全ての登場人物の話 し方に注目したい。誰もが、個性や喜怒哀楽を漂白してしまったようなフラ ットな早口でしゃべる。言葉は記号として飛び交い、「左翼」が「サヨク」 になったように「誘拐」も「ユーカイ」になってしまう。  もうひとつ注目しなくてはならないのは舞台装置や小道具だ。場面は被害 者の家、犯人の家、彼の近所の夫婦の家、犯人の長女のアパート、と移り変 るのだが、現に観客の目の前の舞台にあるのは終始ひとつのテーブルと電話。 違う家庭の人々が同じ湯のみでお茶を飲み、同じ煎餅を食べる。だから場面 が変るその瞬間には、たとえば、被害者の家族のところに突然犯人の娘たち が入ってきたように見えたりする。差異がなくなり均質化してしまった日本 の社会が「パパ」と「お嬢さん」の背後に浮かび上がる。だから娘の祖母は 始終「ここは芦屋なんだから」と自分に言い聞かせるように言っていなけれ ばならない。  誰もが、事件そのものまでもが、宙づりになってうろたえ、「ホントがホ ントにならなくて困っている」事態にケリをつけるのはテレビである。テレ ビに出ればこれが誘拐事件だと「証明され」「みんなが信じる」と娘は言い、 犯人と一緒にインタヴューのリハーサルをしているところで幕となる。  いま索漠とした風景はここまで広がっているのかと思わずにはいられない。  サクバク、と言ったほうがいいだろうか。