S63_8 楷書のシェイクスピア  見終ってから、いみじくも「楷書の舞台」と言った人がいた。そう、行書 や草書に崩すのではなく、たっぷりと筆に墨を含ませて骨太に書かれた楷書。 相撲で言えばがっぷり四つの寄りきりといったところか。  この春完成した東京グローヴ座のオープニング・フェスティバルの一環と して、六月一八日から二四日まで、英国ナショナル・シアター(N.T.)によっ てシェイクスピアのロマンス劇三本『シンベリン』『冬物語』『テンペスト』 が上演されたが、楷書云々という言葉が出たのは『冬物語』のときだった。 小細工を弄さずに堂々と正面から取り組み、この作品の魅力と奥深さ、素晴 らしさを余すところなく伝えてくれる演出だったのである。演世は三本とも サー・ピ―ター・ホール。  五幕三場、台座にのった彫像として人々の前に引き出されたハーマイオニ が、忠実な侍女ポーライナの「時が来ました。お降り下さい。もう石でなく てもいいのです」という言葉で動き出す場面は、いつも、どんな舞台で見て も心を揺さぶられ涙腺を刺激されるのだけれど、今回のN.T.の『冬物語』で はとりわけ感動的だった。まず、像を覆っていた白い布が取り払われると、 期待をこめた私たちの目に飛び込んでくるのは、微動だにしない真っ白な 「彼女」の後向きの立ち姿。だから、それが生前のハーマイオニに「生き写 し」だという驚きは、像を半円形に取り囲むようにして舞台奥に立つ人々の 表情を介した間接的なものなのだ。私たちはまだ驚かない。期待と好奇心は 高まる一方だから、彼女が動き出してこちらを向いた瞬間の驚きは一層大き い(動き出すって分かってるのにネ)。  今や白髪まじりのハーマイオニは、成長した娘と再会し、かつて彼女に姦 通の濡衣を着せ嫉妬に狂った夫と和解しても、終始その悲痛な表情を崩さな い。眼差しから、全身から、活力と明るい歓びを放っていた序幕の彼女とは ほとんど別人である。長い苦悩の重圧。このハーマイオニ役を始めとして、 柄においても演技力をとっても、俳優たちは粒揃い。例えば、これまでにこ れほど完璧なパーディタを見たことがあっただろうか。つまり、他の登場人 物たちの賛美の台詞に刺激されたこちらの想像力によって、その美しさ愛ら しさを底上げする必要が全くないのだ。  ほとんど白髪のハーマイオニを筆頭に、演出は、五幕の彼女や夫のレオン ティーズ、そして彼が妻との仲を疑ったボヘミア王のポリクシニーズを意図 的に必要以上に老けさせている。恋人同士のパーディタとボヘミア王子ファ ーディナンドがのびのびと生きたに違いない十六年とは対照的に、その同じ 歳月が彼ら三人にとってどれほど重く苦いものだったかがひしひしと伝わっ てくる。  この舞台ではエンブレムどおりに大鎌と砂時計を持った老人の姿で登場し た「時」―明らかに『冬物語』のなかでは、「時」がもうひとりの蔭の主役 なのだった。