S63_6 フォルスタッフの後ろ姿 『ヘンリー五世』の冒頭、カジュアルな黒いセーター姿の序詞役バリー・ス タントンが、暖かみのある朗々たる美声で「Within thiswooden O」と言った とき、思わず体がブルッと震えたものだ。  wooden =木造でこそないが、まさしく私たちは、シェイクスピアがこの台 詞を自分の劇団の役者に言わせたときと同じ「O」=円形の劇場空間にいるの だった。  新大久保と高田馬場のなかほどに、往時のグローヴ座を復元したかたちで 新築された東京グローヴ座の柿落し第一弾、イギリスからやってきたイング リッシュ・シェイクスピア・カンパニーの『薔薇戦争七部作』は、『リチャ ードニ世』から『リチャード三世』までのシェイクスピアの歴史劇を一挙に 上演するという果敢で壮大なスケールの公演だ。まず劇場がインティメイト な雰囲気でとてもいい(設計は磯崎新)。五日間通いつめた私の席が二階最前 列のほぼ正面だったせいもあって、舞台全体が一望のもとに見渡せ、同時に ディテールがよく分かるのだ。今回のマイケル・ボグダノフ演出の特徴のひ とつは、ヴィジュアルな面での様々な時代の混在だ。たとえば中心人物同士 の一騎打ちは鎖帷子や鎧兜といういでたちで行われ、処刑や戦闘の場面では 現代の迷彩服姿の兵士たちが機関銃を乱射する。「大物」の個の闘いと、歴 史のなかに埋もれてしまう無名性の死との対比が鮮やか。  不満も無くはない。私が見たサイクルでは、お目当てのマイケル・ペニン トンが『ヘンリー四世』と『ヘンリー五世』でハル王子=ヘンリー五世とし て出演せず、がっかりだった。また、つるつるの坊主頭のアンドリュー・ジ ャーヴィス扮する『リチャード三世』は、エキセントリックすぎて陰影やふ くらみに欠け、カリカチュアのよう。ボズワースでの戦闘前夜、彼が殺した 人々の亡霊が出てくる場面も、本人がのたうちまわる割には凄味がない。亡 霊がどれも変に事務的なのだ。  だが、リチャード二世のペニントンとフォルスタッフのスタントンの素晴 らしさは、そんな不満を補って余りあるものだった。  特にフォルスタッフ。『ヘンリー四世』第二部の幕切れ近くで、ヘンリー 五世として王位に就いたかつての無頼仲間からボロくずのように見捨てられ た彼が、しょんぼりと立ち去って行く後ろ姿は忘れられない。巨体をフロッ ク・コートに包み、ユニオン・ジャックのリボンを巻いた山高帽をちょこん と被り、手にも小旗を持って……。  社会や歴史のダイナミズム、それを個人がどう担っているかということ、 政治の駆引きとその地誌的な広がり、上は国王から下は名もない一兵卒、歴 史の表舞台と楽屋裏を彩る様々な女性たちに至るまでの人間臭さ、高貴さ、 愚かしさ、権力というものの魔的な力――そういうものがシェイクスピアの 歴史劇には活写されている。改めてそれを感じた五日間。