S63_11 アングラの化石  男と医者は幼馴染みらしい。  医者が言う。「なにしに来たんだ、君はここへ。また娘さんの年の数をか ぞえにきたのか。(中略)……覚えていてやることさ。君が生きている問は… …死んで消え去るわけじゃないんだから。光枝や奴が死んでいないようにネ」  男は答える。「うん。そうだネ……夏の終りの……黄昏、夕陽は大和ゴム の煙突にひっかかって、ぼくら仲間たちと一緒に……光枝や娘も声をたてて 遊んでいるんだ。遠くの方では君ネ、白い抹香鯨が空高く汐を吹き上げてい るんだよ。」  劇団結成が'67年というから、もう二十年選手の中村座(みずからアングラ の化石と言ってはばからない)が、若手劇団と肩を並べて新宿の小劇場タイニ イ・アリス主催のアリス.フェスティバルで上演した『胸さわぎの放課後』 (9月3日―7日)は、この一人の中年男の記憶巡りである。  小学校の教室、そこでの授業や放課後の掃除、身体検査、原っぱでのモウ ビイ・ディックごっこ、先生同士の秘かな逢引の目撃などの場面が「ブルー の暗転」で区切られてコラージュ風に連なる。  押しも押されもしないリッパな中年も混ざる男優女優が、小学生になって はしゃぎまわる姿は迫力満点でなんともおかしく、だが、それが過去の残像 であるだけに一抹の悲哀も漂う。男にとっては、かつて「ごっこ遊び」のな かで見た白い抹香鯨モウビイ.・ディックもまた、幼くしてこの世を去った娘 や原っぱで行水する姿をかいま見たマドンナ光枝と同様に死者なのだ。  男が親友の墓参りをするシークエンスは秀逸である。舞台には椅子が一脚。 そこに親友が座っている。それが墓。男は「墓」と対話する。光枝のこと、 それぞれ「エイハブ」「スタ―バック」と呼び交わしながら遊んだ放課後の こと……。  作・演出の金杉忠男は引用の達人だ。そもそもこのモウビイ・ディックご っこも自作の『説教強盗』からの引用である。その他、別役実の戯曲『ジョ バンニの父への旅』やタヴィアーニ兄弟が監督した映画『カオス・シチリア 物語』からも美しい場面を効果的に引用している。  数年前までの中村座の芝居は、肉弾相撃つがごとき足場ギシギシ、床はミ シミシ、壁のベニヤがバリバリが身上という趣きだったのだが、ここではそ れがすっかり鳴りをひそめ、代わって死者に対する深く暖かい鎮魂の思いが 全体を覆っている。変わらないのは、子供のころに心と体が受け止めたこと をあくまでも「根にもつ」芝居だということ。登場するのが、そのあらゆる 意味において「大人げない」大人たちだということ。役者はみんな、水で洗 いっぱなしのようなスルンスルンの素顔で出てくるいい男たち、いい女たち だ。