S63_10 老人ホームの「リア王」  毎年の夏、富川県の山ひだの奥にたたまれた人口千人にも満たない利賀村 で開かれる国際演劇祭「利賀フェスティバル」も、今年は七回目である。  夜、すり鉢型の客席から見下ろす野外劇場のステージは、黒くつややかに その向こうの暗い池の水面に接している。ヘンデルの「ラルゴ」にのって左 右の袖からすべるように現れたのは、アメリカ人の男優たち。すべて緞子の 打掛けなどをアレンジした和装である。鈴木忠志演出・構成による『リア王』 の、ダイナミックで抑制のきいた美しい導入部だ。  目に見えない大枠はおそらく病院か特別養護老人ホ―ムで、「リア王」は 常に白衣の看護婦(もちろんこれも男性が演じている)が押す木製の乳母車様 のものに乗せられて登場する。成人した子供たちに辛く当られたであろう死 期の迫った老人が、妄想のなかで自分をリア王と混同しているという設定だ。 だから終始彼に付き添う看護婦がリアの道化。おまけに「彼女」が暇つぶし に読んでいる本はどうやら『リア王』らしい。ひとりの老人の妄想と別の人 物が読む物語というふたつのフィクションが重なり合う。  この舞台そのものが言わば老人のアタマのなかで進行していることの提示 なのだが、狂乱のリアが嵐の荒野にさまよい出て掘っ立て小屋に身を隠すシ ークエンスの鈴木演出は、さらに狂った「リア」の内面を切り開いて見せる。 強い衝撃力のこもった忘れ難い場面。  まず「風よ、吹け、きさまの頬を吹き破るまで吹きまくれ!」と天に向か って大声で呼ばわるはずの台詞は、「老人」の押し潰したような苦しげな呻 きで始まる。彼は息をするのも辛そうに、服の喉もとを引きちぎらんばかり に掴む。人物および設定の入れ子の一番外側から発したこの長台詞、(原作で は三幕二場)は一気に狂気の裁判の場(三幕六場)に続き、そこには居るはずの ないゴネリルやリーガンたちがずらりと並ぶ。彼の妄想のなかの猟犬はふた りの酷薄な娘やその夫たちと重なり、彼らは激しく吠えたてるのだ。老人の 妄想の中のリアの妄想。  俳優たちが素晴らしい。主役のトム・ヒューイットは、これまでも鈴木の 『バッコスの信女』で彼の劇団SCOTと共演し、鈴木メソッドと呼ばれる演技 法を完全に身につけているのだが、その他はアメリカの四つの代表的なリー ジョナル・シアターから集められた俳優たちで、昨年日本とアメリカで訓練 を積み『リア王』の稽古に入った。舞台は全米各地をまわり、雑誌『タイム』 も演出意図を押えた実に好い劇評を寄せたものだ。  もともとは日本人の資質や体型に合わせ、能の摺足などの伝統的な演技法 を取り入れて鈴木忠志が作り上げたスズキ・メソッドだが、この舞台によっ てそれがもっと広く通用することが証明されたことになる。「スズキ・メソ ッドはアメリカ人に限る」という冗談まじりの賛辞も飛び出したくらい。