S62_9 北村想の純なマニフェスト  何事も斜に構え冗談をまぶして発言しないことには、やれダサイとかヤボ だとか言って馬鹿にされ、耳も傾けてもらえない今日このごろだが、「え、 そんなに素直に真情を吐露してしまっていいの?」と言いたくなるような芝居 に出会った。  名古屋を本拠とする劇団プロジェクト・ナビが、主宰者北村想の作・演出 によって上演したっけ『Duck Soap』(7月7日―14日、於東京・新宿タイニイ・ アリス)である。副題は「家鴨(あひる)石鹸あるいはセリフを覚えたあと役者 は何をするかという問いをめぐる土曜日の黄昏と夜と夜中」と大層長い。副 題からも察しがつくとおり、この作品は作者北村の演劇論でもあり、彼の 「演劇する」姿勢についてのつつましく純なマニフェストでもある。だが、 語られていることは純で素直ではあっても、語り方は実にソフィスティケー トされている。  舞台は、古いビルを取り壊したあとの廃墟のような空地。そこに「家鴨石 鹸株式会社宣伝部営業課の社員にして演劇部員」の面々が集まり、「演劇全 般の学習と次の出し物の検討」をする。次の出し物は、営業課長にして演劇 部長の別保さん(この役の神戸浩の、地なのか演技なのかさっぱり分らない舞 台上のトボケた在り方が実にいい)の友人で、劇作家のゲタムラ・ゾウが書い た『Duck Soap』、という入れ子仕掛けになっているのだ。  別保の言うことが本当だとすれば、その空地は、大正十四年に建った六階 建ての鉄筋コンクリート住宅の跡で、彼の家もそこにあったという。いい大 人が何人も集まって、ままごとよろしく靴を脱ぎ、正座して豆ごはん用の豆 をむきつつ、演劇について真面目にふざけながら論じ合う様は、人を喰って いて何ともおかしい。彼らに興味を持った女子高生量子が仲間に加わり 『Duck Soap』の稽古が始まる。突然、遠くでサイレンが鳴り、あたり一面真 っ赤に染まる。火事? それとも空襲? では、廃墟と化しているのはこの一ヶ 所だけでなく、街、世界全体なのだろうか? 黙々と豆むきをする人々を背に して立つ量子は、淡々とセリフを続ける。 「僕たちがそれをするのは、うったえるためでも、知らしめるためでも、あ らぶるためでも、たたかうためでもない。僕たちがそれをするのは、それが ひとつの僕たちの生活だからだ。僕たちはたしかにくるしい。それは紙幣が ないからなのかもしれないし、将来とよばれているものがないからなのかも しれない。でも、ひょっとしたら、僕たちのくるしさは、世界にぼくたちの 占める場所がないからなのかもしれない。それならば、僕たちは、時間を占 めよう。ここにささやかに、僕たちの生活とよべる時間を占めよう。」  それぞれが独自のおかしみと切なさを持った役者たちと『Duck Soap』が占 めた時間は、すがすがしく私たち観客の心をゆさぶった。客席で、私たちも その時間を分かち持つ。