S62_8 高貴なる卑俗、タンゴ  高貴なる卑俗、みずみずしい生命(いのち)の通った死、自由闊達な束縛、 成熟した若さ、活気ある倦怠……ブエノスアイレスから出発し、ヨーロッパ 各国を巡ってアメリカに渡り、ニューヨークを皮切りに全米、カナダ・ツア ーを終えてようやく東京にやって来た『タンゴ・アルゼンチーノ』(6月5日― 28日、NHKホール他)の舞台に目を奪われながら、私の頭の中を幾つものオク シモロン=撞着語法が駆けめぐった。タンゴとはつくづく不思議な踊りだ。  あんな複雑なステップは逆立ちしたって私には踊れっこない(逆立ちしたら なおさら踊れないのだけれど)というヒガミを差し引いても、タンゴというの はどうも好きになれない踊りなのだった。あの硬直ぶり、思い入れたっぷり な表情と動き、キザ、踊り手たちの自己陶酔、etc. のせいで、つい笑ってし まうのだ。  そういう感受前歴がここで完全にくつがえされた訳ではないけれど、『タ ンゴ・アルゼンチーノ』には圧倒された。楽しんだ。歯切れのいいバンドネ オンを中心とする哀愁を帯びたオルケスタの演奏、歌、踊りに、クラッとす るほど酩酊した。  いわば娼婦とジゴロの踊りだったタンゴが、百年の歳月を経るうちにここ まで洗練されたものになる、それこそが文化というものかもしれないとも思 った。現に七組のペアのほとんどが、夫婦、モト夫婦、恋人同士で、中には 二十年、三十年と同じ相手と組んで踊り続けてきた者もいる。そこになんと も言えずいい味わいがにじみ出ているのだ。渋くて華麗。  この道にくわしい人にとっては今さら言うまでもないことなのだろうが、 タンゴの真髄は脚さばきにある、という事実にもこの舞台に接して初めて目 を開かれた。童話の『ちびくろサンボ』の虎ではないけれど、よくまあ四本 の脚がゴチャマゼに溶けてバターになってしまわないものだと感嘆する。ひ らりひらりとめまぐるしく横に蹴り出される脚。からみ合って一瞬静止する 脚。何かにたとえるとすれば――プラトンの『饗宴』の中でアリストファネ スが「男女(おめ)」と呼んでいるもの、あるいはそれがつややかな黒い熱帯 魚に変身し、垂直に泳ごうと長い尾ヒレを激しく動かしている、とでも言お うか。  そう、私たちが舞台で目のあたりにするのはあくまでも「男と女」の踊り、 その中心にあるのは情熱的な恋、嫉妬なのである。「単身者」の踊りディス コ・ダンスは言わずもがな、ワルツやフォックス・トロットなど同じように 男女がペアで踊るダンスの中でも、タンゴほど恋の表情を色濃く表に出して いるダンスは他にあるまい。それどころか、これはセックスそのものの様式 化とすら言える。  いま私たちの世界から「大恋愛」が遠のいている分だけタンゴはノスタル ジックなのだ。それにしても、タンゴには黒という色がよく似合う。