S62_7 出現する夢想楼閣  見棄てられた古い建物に染みこんだ幾層もの時代と時間――その薄い膜を 一枚、また一枚とはぎとり、息を吹きこみ、生きた目差しを向ければ、その 一枚ずつが思いがけいない姿にふくらんで私たちの眼前に立ち現れてくる。  今は廃屋となった建物に、かつて住み、或いは去り或いは死んだ人々の、 想いや愛、笑いや涙までもがよみがえってくる。  渡辺えり子の作る劇は、いつも、それらのたたずまいを緻密にはめ合せ、 組み立てた夢想楼閣だ。劇作・演出・俳優の三役をこなす渡辺が主宰する劇 団300(サンジュウマル)の最新作『オールド・リフレイン――花粉ノ夜二眠ル 戀』(4月17日―5月5日、於東京新宿シアター・モリエール)は、尾崎翠の小説 『第七官界彷徨』を下敷としているが、ここでもやはり、ひとつの家の中で 大正初期から現代までの時間がつづり合わされる。  冒頭で、闇の中から立ち上がり、骸骨たちに囲まれてノスタルジックな歌 を歌う老女には、『第七官界彷徨』の最後で言及される「いつも風や煙や空 気の詩を書いてゐた」屋根裏部屋に住む異国の詩人と、晩年の尾崎翠が重な る。そこにとびこんでくるのが老いた男と関西からの家出少年で、彼らは現 在ただ今の存在である。男が後生大事にかかえていた古ぼけたトランクが開 くと、それはあたかもパンドラの箱で、、中にとじこめられていた「戀」が 広がり、劇が始まる。  主だった登場人物は、そのまま『第七官界彷徨』の主人公たちで、件の老 いた男は、「家族一同がそれぞれに勉強家で、みんな人生の一隅に何かの貢 献をしたいありさまに見えた」人々の中の長兄、神経科医の一助という仕組 み。  そこに渡辺は、彼女独自の層をいくつも組みこむ。.そのひとつが、この部 屋で演奏会のリハーサルをしている弦楽四重奏団なのだが、この工夫が実に 効いている。要所要所で演奏されるクライスラーの「愛の哀しみ」や「オー ルドリフレイン」が劇の伴奏ともなり、彼らの黒の盛装が視覚的にも別の時 間を実感させるからだし、主人公町子が一冊のノートに定着させようとする 詩=文学、彼女や兄たちや従兄の三五郎らそれぞれの「戀」ととともに、音 楽もまた「人々が焦がれる」「見えないもの」であるからだ。ここで語られ る「戀」とは、そんなふうに、人が切なる思いで求めるもの、「焦がす心」 と同義語だ。  とは言え、舞台はノスタルジックで甘美なだけではない。原作のどこかユ ーモラスな雰囲気、苔の恋愛(!)の研究に打ちこむ次兄の二助をはじめとする 奇人変人すれすれの人物たちにお似合いの、奇想天外な場面が次々とくり広 げられ、大笑いさせられる。  多層な時間をひと目で見せたり、熱にうかされて夢を見る人物と、その夢 に登場する人物とのだまし絵のようなからみを見せたりと、渡辺えり子の作 劇、演出の冴えは爽快だ。