S62_2 ウソはホント、ホントはウソ  俳優としてはまったく素人の劇作家自身の声で始まり、再びその語りで幕 となる芝居というのは、私の観劇体験のなかでは『夢去りて、オルフェ』が 最初である。清水邦夫の、何となく申しわけなさそうでボソボソとした、ナ レーションにはさまれている分だけ、いわばド玄人の平幹二朗と松本典子を 中心として演じられるなかの物語部分は、そのフィクション性と演技性の濃 度をぐんぐん高めて行く。この作品においては、そこで展開されることども の嘘(フィクション)と本当、演じられたものかもしれない狂気と正気、芝 居がかり、などが鍵になっているので、全体的なこの仕掛けは実に効果的な のだ。  劇作家自身に関るのは声だけではない。彼は、警官だった自分の父が生前 に見、体験したこととして、この物語をつむぎ出す。  だが、彼の父は物語の中ではあくまでも脇役であり、傍観者。主人公は父 の親友だった中学校教師の桂木一機とその義妹のぎんである。一機とぎんは、 作者の物語の中で、作者とその父によって二重に見られている。  時は昭和十四年、所は北陸の酔ヶ浜遊園地。二年前の火事から、三基の木 馬だけが焼け残ったメリーゴーラウンドが終始劇を見守る。(のちに一機の 放火が火事の因だと分る。)  一機は、北一輝に心酔し、すでに処刑された北に時々会っていると言い張 る四十歳の男である。彼はうら若い陸軍大尉夫人と恋愛中なのだが、その恋 を大尉の家族に勘づかれ、姦通罪で逮捕されそうな危機に陥っている。そこ で彼が東京から呼び寄せたのが三つ年下のぎん。彼女は売れない大部屋女優 だ。二人の両親はそれぞれ子連れで再婚したので、兄妹とはいっても血のつ ながりはない。一機が姦通罪を免れ、大尉夫人が無事に家に戻れるようにと 一機、ぎん、その妹の新子らはさまざまな嘘をでっち上げ、辻褄を合せるた めのシナリオを考える。その「ドラマ」がいちいちおかしい。ぎんと大尉夫 人が同性愛だと言ってみたり、一機とぎんが近親相姦だと言ってみたり。そ の嘘と演技が見え透いていながら真に迫っているため、遂に一機が「帝国軍 人の妻と不良中学教師との姦通、これがここにいる観客たちの一番望んでい る結末なのだ」と言っても、周囲の者には、姦通までもが嘘=ドラマに見え てしまう。「なにが本当でなにが嘘なのか」「いろんな嘘の変り目がわから なくなる」さまが、演技というもののすごさ、奥深さを目のあたりにさせる。  一機とぎんは、幼い頃から互いに「一の丞」「銀之助」と呼び合い、兄弟 ごっこを土台に数多くの空想世界を共有してきた。兄と弟のふりをすること で、近親相姦への強い引力を無意識のうちに振り切ってきたのかもしれない。 幕切れ直前、二人は朔太郎の「遊園地の午後……」を口ずさみ、抱き合って 踊る。そこを襲う彼の教え子達。一機の演技の一生を讃えるように、幻想の 遠い拍手が彼の死体を包む。(12月3日―18日 紀伊國屋ホール)