S61_9 シェイクスピア料理  四方の壁には、鉄パイプが組まれ、ビニール・シートが張りめぐらされ、 床一面に四トンの砂が敷かれて、小屋全体が工事現場。  文学座という劇団は、「新劇」の古株であり、日本の演劇界のエスタブリ ッシュメントという「顔」と同時に、その古い己れ自身を活性化し、常に若 く生まれ変ろうとするもうひとつの「顔」を持っている。それがアトリエ公 演というかたちで私たちの前に現れる。  七月のアトリエの会が取り上げたのは、現代イギリスの代表的な劇作家の ひとり、エドワード・ボンドの『リア』(一九七一年初演)である。訳・演 出は鵜山仁。力がある。  工事現場に姿を変えた東京・信濃町のアトリエで、シェイクスピアの『リ ア王』の世界からはるばるやって来たボンドのリアは、パラドックスに富ん だ政治権力という酷薄なメカニズムを語る。  独裁者のリアは、原作のゴネリルとリーガンに当たる二人の娘、ボディス とフォンタネルによって王位を奪われ、彼女たちはまた、コーディリアとそ の一党によって、権力の座から失墜し、殺される。ここではコーディリアは リアの末娘ではなく、一介の老人として逃亡するリアをかくまった、墓掘り の息子の妻である。かつての圧政の犠牲者コーディリアは、正義の革命家に 変身する。墓掘りの息子の方は、その過程で殺され、亡霊となって終始リア に付き添うのだが、彼はいわばエドガーと道化が一体化した存在である。両 眼をくり抜かれたリア(この形象の中に、原作のグロスター伯も含まれる) と彼が、嵐の中をさまようシーンは圧巻だ。舞台中央の大きな盆がぐるぐる 回り、その回転と強風に逆って、二人はたよりなげに身を寄せ合い、よろめ き歩く。  リア王以来コーディリアに至るまで、代々の権力者はこの国の周囲に「壁」 を築いてきた。そのための苦役と戦争。「壁」は圧政の象徴だ。コーディリ アの場合、正義を旗印にしている分だけタチが悪い。  リアは最後に、ただひとり「壁」に登り、スコップで壁を崩しにかかり、 撃ち殺される。反権力としての老いた、盲いたリア! ボンドのリアは「罪 を犯し、罪を犯された」リアなのだった。  七月には『リア』のほかに『夏の夜の夢』(リンゼイ・ケンプ・カンパニ ー)と『十二夜』(日生劇場、野田秀樹演出)も観た。  ケンプの舞台は、恋の花の汁による恋人の取り違えを、男同士、女同士の 組合せにしてしまうという解釈に代表される、奇想豊かな魔法の世界。野田 版『十二夜』は、ヴァイオラではなく、彼女が変装した「演技」のたまもの シザーリオに焦点を当て、長崎の蛇踊りを効果的に使ったイキのいい舞台で、 大地真央の魅力に初めから終りまで溜息が出た。  それにしてもシェイクスピアはすごい。どんなふうに料理されても、シェ イクスピアの世界劇場(テアトル・ムンディ)はゆるがないのだから。