S61_7 豊かな神話の世界 「整理番号順にご乗船下さい!」――夕闇の中に客入れ係の青年の声が響き、 長々と並んだ人の列が動き出す。  大方が座席指定ではないキャパシティ二百以下の小劇場で芝居が打たれる 場合、観客は、開演二時間ほど前から配られる整理券を受け取り、開場と同 時にその番号順に「入場」する。だが、横浜ボート・シアターでは、それが 「乗船」となるのだ。何しろ本拠の劇場は、横浜元町通り裏の運河に浮ぶ大 型のダルマ船なのだから。時間の浸みこんだ古い木材の親密感、胎内に戻っ たようなくつろぎ、本火の暖かい照り返し、その中で繰り広げられた『若き アビマニュの死』(5月16日―30日)は、まさしく神話の世界、物語の宇宙へ の船旅であった。  アビマニュとは、古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』に登場するあま たの英雄のひとり、十六歳の王子である。だが、同劇団を主宰する演出家遠 藤啄郎の脚本は、それが紀元十世紀にジャワに入り、影絵芝居ワヤンの中に 根づいたものをもとにしている。  神々と人間が天と地を行き交う壮大なスケールの同族戦争バラタユダを背 景とし、王族たちの確執、アビマニュへの二人の妻の愛、若き王子の戦いと 死が語られる。ギリシャ悲劇のコロスの様式を採り入れた脚色も効果的で、 悲劇性と喜劇性が融け合う豊穣さ、大河のような時の流れと高位の座にある 者たちの栄枯盛衰のドラマには、シェイクスピアの歴史劇にも通じる魅力が ある。  主だった登場人物はすべて仮面をつけている。等身大の大きさを超えた喜 怒哀楽の表出を可能にする仮面の力を、あらためて感じる。その面も衣裳も すべて劇団員たちの手造りだ。手造りと言えば、この劇と分かちがたくから み合う音楽も、その音楽を奏でる楽器(主に東南アジアの民族楽器にもとづ く)も、そうである。時にガムラン風、時に三味線の合奏が入ったりする生 まの音楽は、のびやかで迫力満点だ。  いまだに脳裏に焼きついて離れないのは、アビマニュの出陣と戦死の場面 である。小柄な女優が演じるので、ういういしい少年らしさが強調される。 部下を従えた彼の騎馬行は、軽やかな足取りの変化と手や腕の踊るような動 きだけで表現される。装置の一切ない空間が無限に広がり、人馬一体となっ て空気を切りさく様までもが見えてくるこのような想像力への刺激こそ、芝 居の本当の醍醐味だ。アビマニュは、敵軍が一斉に浴びせる矢を満身に受け る。敵兵らが彼に身を寄せるようにしてぐるりに立つ。次の瞬間、彼らがさ っとあとずさる時、アビマニュの胴着に仕込まれた真紅の絹をいちどきに引 き抜く。メイポールのリボンのように流れる絹の血。  抑制の効いた演出、演技。だからこそ力強く豊かに神話の世界がよみがえ ってくる。  この先も、ボン・ヴォワヤージュ!