S61_5 すべてが「芝居」  やがて殺人犯人になる男3は、ただふらりとやって来たにすぎない。やが て殺されることになる男1は、男3の到来を予期し、待ち受けていたのだ。 彼が現れると、男1は凶器を手渡し、殺し方を指示し、台詞を与え、殺しの リハーサルをくり返す。「本番」直前になると、男1は自ら観客を用意しさ えする。殺人の犯行現場を目撃すべきテレビカメラや報道陣を、わざわざ呼 びこむのだ。  劇団転位・21で作・演出を手がける山崎哲が、東京乾電池のために書き下 した『まことむすびの事件』(3月12日―22日、紀伊國屋ホール)は、豊田商 事事件とその特別大型フロクである永野一男殺人事件とに材を取ったもので、 彼の犯罪フィールドノート・シリーズの中でもひときわスケールの大きな作 品に仕上がっている。  そもそも事件の、犯罪のシナリオは、一体誰が作るのか。山崎は、この裾 野の広い事件の中心人物永野(男1=ナガノ)を、主役兼演出家兼プロデュ ーサーに据えることによって、シナリオの作り手を浮かび上がらせる。殺人 事件においては、男3=イイダは加害者で、ナガノは被害者だが、イイダは ナガノによって加害者に仕立てられて行くのだ。また、詐欺事件においては、 そのナガノが加害者の元凶。孤独な老人から命金を巻き上げるべきセールス マンたちが、彼からロール・プレイで特訓を受ける場面は圧巻だ。  これでお分かりのとおり、『まことむすびの事件』は、つかこうへいの 『熱海殺人事件』の過激な変奏という一面を持つ。『熱海―』では、すでに 起ってしまったケチな事件のしがない犯人が、警察の取調べ室で華麗な大殺 人犯に仕立て直されるのだが、ここトヨダ商事の一室は、詐欺事件と殺人事 件という二つの犯罪の現場と化す。すべてが「芝居」という形を取って事件 が起る。  イギリス、ヴィクトリア朝後期の作家トマス・ハーディーは、犯罪も含め た人間の愚行の奥には、Immanent Will(宇宙に内在する意思)が働いている という認識に基いて小説を書いた。偶然の必然性とも言うべき一種の因果律 である。それほどの神秘性を帯びているわけではないけれど、『まことむす びの事件』も、一個人の犯罪の動機などを超えたところにもっと大きなシナ リオの書き手が在ることを語っている。それは、一方ではマネー・ゲームや 相場の世界に代表されるマカ不思議な経済の仕組みであり、一方ではコトを 喜ぶ世間の期待であり、群れとなった個人の、欲望や孤独や怨みの集積であ る。  男3の最後の台詞にそれが表されている。「いかなる物語もすでにわれわ れの手にはなく、われわれをとりまくこの世界が所有しているのであります。 われわれにできうることはすでに、この世界に与えられた物語のなかから自 身の物語を選択することであります。」  ナガノ役の柄本明のファナティックな演技が、ただならぬ凄みをほとばし らせていた。