S61_3 女たちの“ダンディズム” 「女を好きになるにしても、『別れる』ための女として出会わなければなら ない」というのがつかこうへいの持論である。別れのパターンとその絵づら をあらかじめ想定し、そこに向って行動をしぼりこんで行き、途中でどんな 思いがけない事態が生じようとも、かっこよく絵づらどおりにフィニッシュ を決める―それがつかのダンディズムだ。  つかこうへいが演劇活動停止を宣言してから早くも三年余り経ったが、彼 の劇団生え抜きの俳優、長谷川康夫が初めて戯曲を書き演出した『いちどだ け・純情物語』にも、つか一流のこのダンディズムが引き継がれていた。だ がここでは、つか作品の場合とは男女の立場が逆転している。ダンディズム が男の専売特許ではなくなっている。  芸達者な女優たち、松金よね子、岡本麗、田岡美也子が演じる三人の女に とっての生きる目標は、妻子ある恋人が死んだアカツキには美しい喪服姿で ひっそりと現れ、謎めいた「通夜の客」を演じきること。その花道に立つこ とだけを楽しみに、各々五年、六年、十年と三十半ばの今日まで、「不倫を やってきた」のだった。そして、ついにその日が来る。だが、男の家に来て みれば、三人が鉢合せ、しかも男は死んでおらず、寝たきりの植物人間寸前 の状態。妻子がいるというのもマッカな嘘で、甥と同居のチョンガーなのだ った。三人は愕然とする。何のための不倫、何のための喪服―。泊りこみで 男の看病をしながら交すとりとめもないオシャベリの中から、彼女たちの屈 折した結婚願望や「ナウいキャリアウーマン」の仮面の下に隠されたもの― ファッション関係、実は駅前の洋品店の雇われマダム、今をときめく花のエ ディター、実はミニコミ・タウン誌の編集者、芸能プロダクションの社長、 実はエキストラの仕出し業―、そして“純情”があらわになる。  三人は気を取り直す。目標を立て直す。力を合わせ男に社会復帰させよう、 可愛い奥さんを世話しよう。やがて子もでき、改めて男が死んだその時こそ 晴れの舞台だ。長年練り上げてきた演技方針どおりに哀しみのヒロインを見 事に演じよう。そう明るく誓い合った時、男の死が知らされる。女たちの悲 痛な叫びは、男の死を嘆く純情と、なけなしのダンディズムの挫折に歯ぎし りする非純情との苦いカクテル。  あまりにも味けない日常と、しがない現実とを乗りきるために、フィクシ ョンを生きる彼女らは、まぎれもなく、つかこうへい的演技人間の妹である。 そこでは、ドラマへの愛、演技への情熱が、生ま身の男へのそれを凌駕する。 つかが描いた人物たちのファナティックなまでの演技愛に比べると、いささ か甘口で、特に“純情”がさらけ出される面は感傷に走るうらみがあるもの の、長谷川の作劇、演出の腕はさすがで、だてにつかにしごかれてきたので はないと思わせる。(1月16日―21日 東京渋谷ジァンジァン)