S61_11 踊りを越えた踊り  喜怒哀楽が麻痺してしまったような無表情な顔、顔……。その感情の痛覚 を体感から無理にも喚びさまそうとするかのように、人々は指をしゃぶり、 自らを、相手をくすぐり、つねり、噛む。触れる。抱き合う。  長い時間の流れが停滞しよどんでいるようなその四角い白い空間は、ダン スホールのようでもあり、ステージ奥には灰色のビロードの幕が降りた舞台 がついているところから察すると、公会堂のようでもある。その三面の壁ぎ わに寄せられたいくつもの椅子。そこに坐った正装した大勢の男女の姿が浮 び上がる幕開きから、不思議な頽廃感と切なさが迫ってくる。  今、世界中の演劇界、舞踏界を通じて最も注目を浴びているドイツのピナ ・バウシュとヴッパータール舞踏団の日本での初公演(9月15日―23日、東京 ・三宅坂、国立劇場)における『コンタクトホーフ――ふれあいの館』は、 三時間を越す大作だが、終っても、もっと、いつまでも続けていて欲しいと 思うほど感動的な舞台だった。  古い映画のスクリーンに雨が降るように、繰り返し流れるノスタルジック なタンゴやワルツの曲にも雨が降っていた。閉じこめられた調べと閉じこめ られた空間の中で、執拗にたどられる男と女の愛憎の時間、さまざまな葛藤。 その表現の仕方が並の舞踏言語とは全く様相を異にしている。ここにあるの は踊りの振り付けではない。私たちが日常生活の中で何気なく、無意識で行 うような仕ぐさが、驚くほど新鮮な美しい組み合せで再現される。  足に合わないハイヒール、坐られていない椅子、動かない電動木馬、答え の返ってこない「ダーリン!」の叫び、そして、ダンスの途中でパートナー を、抱擁のさなかに恋人の体を、すぽっと抜き取られたようなポーズで静止 する男たち女たち。次の瞬間、その空の中に入れかわり立ちかわり誰か彼か が入るのだが、相手が違うとばかり彼らはすぐさま離れ、また同じポーズを 取る。在るべきものの欠け落ちたさま、それを埋めようとする空しい行為が 時に狂騒的に、時にコミカルに、時に緩慢に繰り返される。人と人は、女と 男は、こんなにも激しく求め合ってきたのか。だがその飢餓感は決して満た されることはない。たとえ暴力であっても、触れ合いがないよりは遥かにま しだというほどの飢餓感は――。たとえば、全員が男女ふた手に分れて向き 合い、交互に「Head! Hand! Neck! Stomach!」と群呼しあう場面。 相手方は「Head!」で頭をのけぞらせ、「Stomach!」で体をくの字に曲げる。 コトバによって、殴り合いが表現されるわけだ。一方、笑いの要素も巧みに 織りこまれている。ダンスを踊るカップルの距離を、巻尺で測って歩く男も その一例。触れ合いを切望する男と女の愚かしさ、苦さ、いとしさが余すと ころなく表されている。これ以上雄弁に、人の体に語らせることができる人 を私は知らない。