S61_1 今様「愛の死」  秋でもない冬でもない、どっちつかずの季節のどっちつかずのたそがれ時、 浅草新仲見世通りを歩く心細さは、時候や時刻や地理不案内のせいばかりで はない。そこでは“火の消えたような”というのが比喩ではなく、店々が早 々と表の灯を消して、人の足を遠ざけているのだった。  角をひとつ曲ると、大きく重たげな黒い旗が高々とかかげてあるのが眼に とびこんできて、不意打ちをくらった胸が熱くなる。旗に縫いつけられた文 字があざやかである。「七」だけが挑戦的な真紅、あとは白抜きで「劇団第 七病棟」と――。  劇団名の由来は知らないが、自分たちに納得のいく良い芝居を作るためと あらば、手間も暇も金もあと先考えずに注ぎこんでしまうという意味では、 この集団は丸ごとビョーキである。  最も重症なのは主宰者の石橋蓮司と主演女優の緑魔子。スタッフにも音響 ・効果の市来邦比古、美術の和田平介を筆頭に、救い難い面々がそろってい る。かく言う私も、観客としては外来患者の資格十分と自任しているのだけ れども。  そもそも創立十周年の今年まで、上演した芝居がたったの五本で、そのす べてがとびきりの傑作というのも尋常ではないが、二十数年間映画館として 使用されていた浅草常盤座に再び芝居の生命を吹き込もうというのも、一種 ドン・キホーテ的な途方もない試みではある。黒い旗の背後のファサードも 内部も、廃墟同然。だがその廃墟が、ビョーキに感染し発熱していた。 今回上演された『ビニールの城』は、その常盤座の大空間を念頭において、 唐十郎が第七病棟のために書き下した作品である。  死んだように眠っていた劇場に息を吹きこむのにも似て、人形に声を、言 葉を吹きこむ腹話術師朝顔(石橋)が主人公で、彼をいちずに思うもうひと りの主人公モモ(緑)はビニ本の女。だが、朝顔の頭を占めているのは、八 ヶ月前「お互いに冷静になろう」と別れた人形の夕一を探し出すことばかり で、モモがどれほど激しくその思いをぶつけても、また、ビニールに包まれ た窒息状態から救い出してくれと訴えても、冷たく突き放すのである。  朝顔は、だが、据え膳食わぬ潔癖症でも意気地なしでもなければ、ただの 冷血漢でもない。生ま身の人間とはかかわれない男、彼が「遠くから来た人」 と呼ぶ人形しか愛せない男なのだった。裸身をさらしビニールに包まれて、 愛する男にすげなくあしらわれるモモは哀れである。  が、へだてのビニールということで言えば、朝顔の方こそそれをまとって いるのではなかったか。女は遠ざかり、人形からも見離されて、ひとりカミ ヤ・バーのカウンターでデンキブランに酔いつぶれる朝顔の後ろ姿は、モモ よりも更に痛ましい。  その背後で、横たわるモモが、ビニールのテントに覆われ巨大な光の柱と なって高く高く昇ってゆく――『トリスタンとイゾルデ』の「愛の死」の皮 肉な響きとともに、忘れ難いラスト・シーンであった。 (10月25日―11月10日)