S60_4 大笑いの向う側に  たとえば、大学の構内などで芝居を打っていた学生劇団に人気が出ると、 池袋や新宿の、劇場とも言えない小さなスペースや、下北沢のザ・スズナリ などにプロとして「進出」し、そこでもワッと若い観客を集めると、いよい よ紀伊國屋ホールとか本多劇場からお声がかかる。贔屓の劇団がこのルート にのると、正直言って、ヤッタネという気持ちになる。  今、若者たちから圧倒的に支持されている早稲田大学出身の劇団第三舞台 もまた、この「出世街道」をバクシン中だ。作・演出と客入れ(?)を受け 持つ主宰者の鴻上尚史は、一九五八年生れの弱冠二十六歳。映画、テレビ、 劇画のパロディをギャグでつなぎ、現代に対する批評性の強い、活きのいい 舞台を作る。  再々演の『朝日のような夕日をつれて』(2月2日―6日)を上演した紀伊國 屋ホールは、補助椅子がびっしり並び、通路にも二列に人が入って超々満員。  変化する光とにぎやかな音楽が交錯するだけの素の舞台には、終始、たっ た五人の男が入れ替り立ち替り現れる。そのうち四人は、タチバナ・トーイ と称するおもちゃ会社の社長と社員、らしい。フラフープからルービック・ キューブ、コンピュータ・ゲームのゼビウスからアドベンチャー・ゲームと いった大ヒット商品の、次なる売れ筋は何かと彼らは日夜知恵をしぼってい る、らしい。  新しいアイディアが生れるのを待つ彼らは、度々ゴドー待ちの世界に引き ずりこまれる。社員のうち二人は、その名もウラジミールとエストラゴンを もじって、ウラカワとエスヤマという。ゴドーさんの伝言を持って来る少年 「らしい」男が現れたり、本物のゴドーや偽のゴドーが出て来る堂々めぐり の末に、遂に彼らは画期的なゲームの開発に成功する。  それは、アドベンチャー・ゲームを更に過激にした「リアル・ライフ」と いうもので、ゲームのベースになるのは、その名の通り個々の遊び手の現実 生活だ。いくつもの選択肢のうちから自分の未来を選び取りながら、それを 疑似体験してゆく。これほどスリリングなゲームはあるまい、大当り間違い なしだ、と彼らは色めきたつ。だが、ベースが現実である限り、体験は「擬 似」の域をはみ出してしまうのは必定。その危険に気づかずにゲームに熱中 してゆく人々がたどりつく果ては……?  いくつもの「らしい」が幕切れ直前になって正体を露わにする。五人の男 は、リアル・ゲームにのめりこみすぎ脱けがらのようになって、精神病院で 受療中の患者だったのだ。  ただでさえゲームの興奮の裏には、まるでオンブお化けのように「退屈」 がぴたりとはりついているものだが、リアル・ライフの興奮が醒めた先には、 全てが見えてしまった荒涼感と死に至る退屈の、無彩色の廃墟が広がってい るだけだった。全篇をすさまじい勢いで覆う消費的ギャグが、流行っては飽 きられるゲーム・ブームとパラレルになって、効果的。大笑いのすき間から ひたむきな顔がのぞく。