S60_11 流れ星ひとつ  滅多に見られないものを見た。野田秀樹の出ない夢の遊眠社の芝居である。  つくばの科学万博と大阪での公演を終えて、8月27日から東京渋谷のパルコ 劇場に舞台を移した『彗星の使者』。千秋楽まであと四日という時に、主演 の野田が舞台でけがをし入院してしまったのだ。翌9月2日は休演、次の日か らは代役を立てての窮境を、彼らは見事に乗り切った。たった一日の稽古で ピンチヒッターに立ち、ヒットを飛ばした円丈寺亜矢のういういしい少年ぶ りをはじめとして、この劇団の底力と野田戯曲の魅力の大きさを、とんだ災 難がはからずも示したのだった。  芝居の方もとんだ話で、次の作品『宇宙蒸発』で三部作が完結するはずの 前作『白夜の女騎士』と『彗星の使者』では、ヒトの飛翔が縦糸になってい る。かつて神に逆らってまでもヒトの味方となりヒトの飛翔に手を貸したワ ル、キュー、レ? の三人がここにも登場し、主人公のトブ・ソーヤと友達 のトカゲを援護する。  劇世界は例によってめまぐるしく時空を飛ぶ――夏休みも終りに近い少年 少女の世界、ノストラダムスとガリレオの世界、始祖鳥とシーラカンスの世 界、生きた化石発掘現場、日本の戦国時代、青の洞門や地下の洞窟、天上の 神の裁きの場……。  そして、これまた例によって、一見表層的な語呂合せが、語られた途端に 劇の深層を貫く――ヒトの前足はヒコウ(飛行)するための翼になるはずだ ったのが、江戸っ子のトカゲに空飛ぶコツ(骨)を預けたばかりに、シコウ (思考)する手になってしまった(とここで「考える人」のポーズ、シコウ に走りヒコウできなくなった代表者の姿が浮かぶ)。またトカゲの尻尾を火 にかざすと、浮かんでくるのはヒトカゲ(とここで私たちの頭の中のスクリ ーンに、ヒトとトカゲが重なった大きな影が映る)……。  登場人物あるいは劇のトポスが自在に時空を飛ぶのは、野田の全作品及び 数多くの小劇場演劇の特徴だが、モンダイは、何を、どこを、いつを基点に して飛ぶかということだ。それがしっかりしていなくては、飛距離も飛行速 度も、見えない。ただ宙に浮いた絵空事になってしまう。  紙数に限りがあるので他の劇作家について語るゆとりはないが、野田の場 合、基点はいつも何らかの観念か思いと言ってよかろう。 『彗星の使者』では、飛翔願望と、夏休みも残りわずかになった時の「終業 式の日まで時間が戻ってくれたら」という子供のころ誰もが抱いた切なる願 い。夏休み四十日の時間の回帰がバネとなり、地球の生命誕生の三十億年前 まで時が戻る。そして、少年がポケットにひそませたトカゲへの親近感。そ れが、シーラカンス(海)と始祖鳥(空)の間に在る生きた化石のハシクレ たるトカゲと、飛ぶ前段階のヒトとを重ねさせるのだ。  幕切れは、少年少女の夏休みの終りという基点に戻る。  彼らが仰いだ星空を、流れ星がひとつ斜めによぎり、三十億年の時空めぐ りの感動をスイッと熱くする。