S60_10 SF的アレゴリー  舞台全体が一個の巨大な白い箱。たとえばあるシークエンスでは、若い男 が、中央の四角いテーブルに突っ伏すように、坐っている。上手から女がす っと入って来る。床の上のワイングラスをすくい上げ、ひらりと高くかかげ る。液体は、白の中の一点の赤。と、同じように白づくめの女が三人、次々 と踊るように入って来る。手に手にバースデー・ケーキを持って。ろうそく の火は、白の中でちらちらとゆらぐ。四人の女たちの耳は、長くとがったサ テュロスの耳だ。男がケーキに手をのばすたびに、女たちはすいっとそれを 遠ざけて、男をじらす……。  また別のシークエンスでは、暗がりの中でひとりの女が両手にささげ持っ た何かを床に置く。スポットが当ると、それは人間の二の腕だ。たなごころ を上に向けた手がヒクヒク動く。じわじわと腕ごと床を這いまわる。三人の 男女がひとりずつ入って来、立ちすくみ、気味悪そうに手を見つめる。掃除 婦が、長い箒と長い柄のちり取りを手に入って来、こともなげに手をちり取 りにおさめ、スタスタと事務的に出て行ってしまう……。  こんなふうな、どこか無気味でおかしくて、無機的でそのくせ情感のある シークエンスが次々と、まるで夢の中の場面のようになめらかにつらなる。 透明感のあるメレディス・モンクの音楽と声が伴走する。  シークエンスとシークエンスのつなぎめは、それ自体がオプティカル・ア ートだ。暗転と同時に、舞台全体が蛍光色ピンクの格子模様の照明を浴びる。 人も道具もすべて黒地にピンクの格子に塗りこめられる。透明人間の服だけ が動くふうに人が動くと、残像現象のせいで格子が横縞に見える。  いくつもの不思議なシークエンスは、ロボット/アンドロイドの見る夢だ。  ニューヨークの中国系前衛作家ピン・チョンの『組み立てられた人間』は、 まず白黒映画で始まった。映像はネガで、日常風景の光と影が逆転している。 それはアンドロイドAMBIの目に映る人間世界の日常だろうか。そして、 先に述べたライヴの部分がはめこまれ、再び白黒映画(今度はポジ)につな がる。最終部の映像の中では、AMBIが病院とも実験室ともつかない所で 自由を奪われている。ハイウェイと荒野の風景で、AMBIの逃走が暗示さ れて、幕。二つの次元の違う世界の嵌入の仕方は、村上春樹の『世界の終り とハードボイルド・ワンダーランド』にも通じる。  映像、音、ハイテックな演劇空間の夢幻――マルチ・メディアをさりげな く駆使した洗練されたこの作品は、新鮮な驚きに満ち、SF的なアレゴリー とも読める。  十一日間にわたった今年の利賀フェスティバル。私は七月三十日の晩、こ の作品を二回も続けて見てしまった。  富山県の山奥ののどかな村で、舞台表現の世界の最前線に出会うのは、夏 毎の大きな楽しみになっている。