松岡和子の<英国劇作家あっち行ったりこっち行ったり> 第5回 ――ハロルド・ピンター・その1 『初日通信』VOL.458/1993.3.18発行  パルコ劇場で上演中の『危険な関係』を演出したデイヴィッド・ルヴォー は、目下文字どおり世界を股にかけて大活躍している。ブロードウェイでユ ージン・オニールの『アンナ・クリスティ』を、ロンドンでハロルド・ピン ター(Harold Pinter)の『誰もいない国(No man's Land)』を、そして東 京に飛んできて『危険な関係』を演出しており、しかもどの舞台も好評なの だから。  私が『危険な関係』を見たのは二日目だったが、ルヴォーも劇場に来てい て、製作の門井さんが紹介してくれた。ほんのちょっとだったけれど立ち話 ができ、ピンターのことも話してくれた。  というのも、フリンジ(最近では、オフ・ブロードウェイにならって「オ フ・ウェストエンド」と言う向きもあるらしいが)の名門劇場、アルメイダ で幕を開け、ウェストエンドのコメディー・シアターに移った『誰もいない 国』には、ピンターが俳優として出ているのだ。  3月5日付けの朝日新聞の「 around the world 」というコラムに、ロン ドン留学中の野田学さんがこの舞台のことを書いていて、ピンターの写真も 載っている。三つ揃いのスーツを着て、たっぷり詰めものの入ったアームチ ェアに坐っているところをみると、彼はこの芝居の四人の登場人物の中のハ ーストという六十代の男に扮しているようだ。  ルヴォーに言わせると、ピンターは俳優としても「funny 」だし、ピンタ ー劇もとても「funny 」。「これまでは、ピンター劇を深刻にむずかしく解 釈しすぎたんじゃないだろうか。むしろノエル・カワードの系譜に属する喜 劇だと思う」という言葉が新鮮だった。  今回ピンターについて書くに当り、、新潮社から出ている『ハロルド・ピ ンター全集』をぱらぱらめくっていたら、第一巻の巻末の解題で、翻訳者の ひとりである貴志哲雄さんがやはりカワードとピンターの類縁性を指摘して いた。『料理昇降機(The Dumb Waiter)』を論じた箇所。 二人の殺し屋が 殺人の手順を復習しているところで、観客から湧き起こるはずの笑いに関し、 「厳密に計算されたタイミングに頼る点で、ピンターは、今世紀のイギリス の最も優れた喜劇作家であるノーエル・カワードに酷似している」と言って いる。  私が初めてピンターの芝居を見たのは1964年、劇団雲がアートシアター新 宿文化で『殺し屋』 (その時は The Dumb Waiter にこういうタイトルがつ いていた。英潮社から出ている「現代演劇」シリーズのNo.1、「ハロルド・ ピンター」では『料理用リフト』となっている)と『恋人(The Lover)』 の連続上演で、これがピンターの本邦初演だったはずだ。二人組の殺し屋を 今は亡き小池朝夫と名古屋章が演じ、『恋人』のほうは離婚前の仲谷昇と岸 田今日子が演じた。どちらも言うに言われぬ不安感の漂う好舞台だった。  新宿文化が、映画上演が終わってから演劇公演をするという、当時として は画期的なことを始めたのは1963年の6月からで、その第一回はやはり劇団 雲によるエドワード・オルビーの『動物園物語』だった。開演時間は夜の九 時半、世の中の善男善女はそろそろ家路をたどろうかという時刻に、伊勢丹 裏の道にずらっと長い列ができるのだから、通りかかる人たちは、ナニゴト ならんといういぶかしげな顔つきで眺めてゆく。その列に混ざって立ってい るだけで、全く新しい動きに参加しているような興奮と妙な優越感を覚えた ものだ。  『殺し屋』と『恋人』の上演は七月と八月だったが、この年の五月には同 じアートシアター新宿文化で俳優小劇場によるベケットの『芝居』を、七月 には改築前の草月ホールでNLTによるジャン・ジュネの『女中たち』を、 九月にはイヨネスコの『瀕死の王』と『授業』を見ている。で、翌年の夏に は、NLTがエドワード・オルビーの『ヴァージニア・ウルフなんか恐くな い』をやった。映画ではエリザベス・テーラーが扮したマーサの役は南美江。 最近では、もっぱら上品で威厳のある老婦人という役どころの南美江しか知 らない人が多いだろうから、これはちょっと驚きでしょ? で、で、この年 の暮れには、いよいよあのベケットのあの『ゴドーを待ちながら』。これが また今から思えば考えられないかもしれないけれど、劇団民芸の上演なのだ。 演出は渡辺浩子、ウラジミールとエストラゴンをやったのが宇野重吉と米倉 斉加年と聞けば、ひっくりかえるのではないだろうか。  ひたすら待つ、お喋りをして時間を潰す、ゴドーさんは来ない、へんてこ りんな旅人が通りかかる、待つ、ゴドーさんは来ない、ただそれだけ――古 今東西の演劇史の中でも全く類例をみないこの芝居は、学生時代に読んでい たので、実際の舞台に接する期待は大き、興味津々で見た。だが、ベケット 自身が目指したヴォードヴィル的な笑いの要素は、のちに栗山民也が演出し、 漫才のセントルイスが主役を演じた舞台のほうがずっとうまく表現されてい たと思う。  という訳で、いわゆる「不条理演劇」と呼ばれるものの代表作の上演が、 二年半のうちにまとまっている。右を見ても左を見ても不条理演劇、という 感じではあった。  そういうコンテクストの中で上演されたピンターだから、その作劇法や、 アイデンティティの不確かな登場人物や、言ってることが本当なのか嘘なの か、はたまた本当と信じ込んでいる幻想なのか判然としない台詞などは、一 直線に不条理演劇と結び付けられたのも無理はないだろう。  でも、60年代から遠ざかった今になると、そんなレッテルや枠など取りさ って、もっとピンター劇そのものを独立させて考えたほうがいいように思う。  おととし、1991年の夏、ロンドンのコメディ・シアターで『管理人(The Caretaker)』を見た。演出はピンター自身で、主役の浮浪者の老人デイヴ ィスを演じたのは、ドナルド・プレゼンス。プレゼンス( Pleasenceという 名前のスペリングを私は「プレゼンス」と読んできたのだけれど、英潮社の 「ハロルド・ピンター」には「プリーザンス」と書いてある。新潮社の全集 では「プレゼンス」。どっちが正確な読み方なのか調べてみます)は、この 芝居の初演(1960)でも同じ役を演じている。当時彼は四十歳、1991年には 七十一歳だから、この役の実年齢にずっと近くなっている。  まず舞台装置のウルトラ級のリアリズムにびっくりした。ロンドンのうら ぶれたアパートの一室なのだけれど、壁もベッドも本だなも、何から何まで ……。そして、ものすごいコックニー訛りで喋るアストンとミックの兄弟や デイヴィスの「居かた」。プレゼンスなどは、レスター・スクウェアかどこ かの地下鉄の駅の片隅で、ごろんと寝ていたホームレスのおじいさんを連れ てきたみたいなのだ。なにしろ七十一歳だから、ノー・メイクでもいいくら い、と言うよりノー・メイクだったんじゃないだろうか。  ピンター劇は、まずしっかりとリアリズムでやること。そうすれば不条理 だろうがなんだろうが、ひとりでにあとからついてくるのだ――そう思った。  ピンターの場合は観念が先にあるのではなくて、まず人が居るのだ。この 『管理人』を見て、それがよく分かった。  まず人が居るという行き方は、ピンターがそもそも俳優として芝居の世界 に足を踏み込んだことと無関係ではないだろう。  ハロルド・ピンターは、1930年にロンドンのイーストエンドのハックニー で生まれた。両親はハンガリーから移住したユダヤ人、父親は婦人服の仕立 て屋で、この点アーノルド・ウェスカーの場合と同じである(ウェスカーの 父はロシア生まれ、母はハンガリー生まれで、共にユダヤ人)。  近所のグラマー・スクール時代に学校劇で『マクベス』や『ロミオとジュ リエット』に出たのが、ピンターの演劇との初遭遇だった。                          (この項つづく)