相曽誠治著作集
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このページに収録されている内容は、神道家・相曽誠治(あいそ・せいじ)の講演録を編集したものです。平成13年7月26日発行の相曽誠治著作集(『サニワと大祓詞の神髄』『言霊と太陽信仰の神髄』)の内容の一部を抜粋したものです。
<著者紹介>
著者・相曾誠治(あいそ・せいじ)は1910年、静岡県に生まれた。くしびな御縁で幼少のころから大山積神の寵愛(ちょうあい)を受けて育つ。栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳(かんば)し。少年時代、既に『古事記』に慣れ親しんでいた。
戦前は皇国史観が世の中を席巻し、「皇室は大陸から渡来した騎馬民族の末えい」という騎馬民族渡来説が学界を支配していた。現在でもその傾向が著しく、天孫降臨は否定されている。
無神論的皇国史観に疑問を感じた著者は、以来、独りで神道霊学や言霊(ことたま)、ユダヤ問題の研究に没頭した。師を求めるにも、当時は傍系神道家ばかりで、正しい指導者がいなかったからである。こうして孤軍奮闘、いばらの道が始まった。最初に着手したのが言霊理論と鎮魂の修得である。
国学四大人に数えられる賀茂真淵でさえ、その言霊学は漢字を応用したものだった。荷田春満も例外ではない。世上、言霊の大家とあがめられる水谷、大石凝などのほとんどが、江戸時代から始まった漢字式言霊学を踏襲している。
鎮魂やサニワも同様だった。明治以降、本田親徳によって鎮魂法が復興され、その系統から出口や友清、矢野、岡本などをはじめとする宗教人が輩出する。そのほかにも当時は、川面、荒深、竹内など、数多くの神道家が咲き乱れた。
相曾の独擅場である。サニワ眼がいかんなく発揮された。近代の神道界をくまなく吟味し、歯に衣着せない評価を下す。
本来、サニワとは太陽神の流れをくんでいるかどうかを峻別することだった。言霊にしても、純粋な高天原文化の名残をとどめているかどうかが分岐点になる。今まで、先人のだれもがこの原理原則を避けるきらいがあった。既に一派(教団)を成し、身過ぎ世過ぎをしていたからである。
著者は舌鋒(ぜっぽう)鋭く切り込んだ。ただ、四面楚歌(しめんそか)の状態である。当初、同調者は皆無だった。黙々と啓蒙活動をしていくしか方法がない。
ようやく、昭和天皇の崩御を機にして情勢が一変した。60年にも及ぶ研さんと努力が実り、徐々に相曾の説が脚光を浴びるようになる。だれはばかることなく、天孫降臨の年代にも言及できる時代となった。だが、神代文化復活に希望を見出した喜びもつかの間、あたかも謫仙(たくせん)が使命を果たし終えたかのように、1999年12月31日、著者は帰らぬ人となる。
今回、山雅房から十年前に発売されたビデオ、「大嘗祭の本義と産土信仰の神髄」「目覚めよ日本民族」「伊勢神宮と菊理媛」「近代神道の歴史とそのサニワ」「新世紀への胎動と天孫降臨」「言霊による大祓詞の神髄」、そして未発表だった「サニワの神髄」、計7タイトルを文章化し、2冊の書籍に収めた。
相曾は完成を待たずに帰幽したが、幸いにも校閲は経ている。読みやすい文体に直し、更に、肝心なポイントには大幅な加筆訂正が施された。懇切丁寧なフトマニ図や神名表も加えられ、いっそう理解しやすくなっている。2巻はそれぞれ独立しており、どちらから読んでも、あるいは片方だけでも、全く差し支えない。
「日本の神代文化とは何か?」「太陽信仰の復興」「古神道の基準とは何か?」という基本姿勢が貫かれているせいか、行間から著者の気迫が噴き出してくる。正に、サニワ不在、迷妄にとらわれた神道界に一石を投じる珠玉の書である。
複数の読者に版下の段階で読んでいただいた。もちろん、相曾のビデオに触れたことのある人もいれば、初めて著者の説に接したかたもいる。「ビデオでは気づかなかったことが再確認できた」「大祓詞の神髄は圧巻だった」「「座右の書にしたい」「サニワの観点に衝撃を受けた」「言霊とフトマニが習得できた」「古神道の全体像と本質がつかめた」「菊理媛の解釈には得心がいった」などと、全員からお墨付きをちょうだいした。
T.修理固成
<伊邪那岐大
御神の地上修理固成>
伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の夫婦神は、更に上位の天津神々から地球の修理固成(つくりかため)を言いつかります。修理固成とは地上世界、人間世界を完成させる神業のことです。
最初、両神は力を合わせて多くの島々や神々を生みますが、一息ついたところで、伊邪那美神は地球の中心部にある根の国・底の国に出向いてしまい、そこで堕落します。伴りょを捜しに伊邪那岐神は黄泉(よみ=根の国・底の国)に行きますが、妻の醜態を目の当たりにし、ほうほうの体で逃げ帰ります。
伊邪那岐神は禊(みそぎ)で黄泉の汚れを祓(はら)います。そのときに誕生したのが天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)です。伊邪那岐神単独の禊で生まれた三柱の神ですが、伊邪那岐・伊邪那美、二神のお子に変わりはありません。
伊邪那岐・伊邪那美神の御神業がより具体化してきますと、今度は天照大御神と須佐之男命に仕事が受け継がれていきます。天照大御神は高天原を、月読命は夜之食国(よるのおすくに=月)を、須佐之男命はウナハラを治めよと伊邪那岐神から御命令が出ます。
ウナハラとは一般的には漢字で「海原」と表現し、地球の海洋部というように理解されていますが、その説は正しくありません。日本古来の言霊でウナハラを解釈しますと、「(海の)底から浮んできた原」、つまり「大陸部」という意味になります。つまり、須佐之男命は大陸部の開拓を言いつかったのです。
<須佐之男命と大国主神の大陸教化>
ところが、須佐之男命は神命(大陸部の指導・教化)を放棄したあげく、天上界で乱暴ろうぜきを働き、高天原を追放されて母・伊邪那美神のいる黄泉国に去ります。天照大御神は高天原の主宰神になりますが、須佐之男命は自ら果たすべき本来の仕事(大陸部の開拓)を直系の大国主命に強引に託してしまいました。
大国主命は須佐之男命の代役として、数千年かけ、大陸の各民族に素朴な原始宗教や言語、食糧の生産方法などを教えます。大国主命が伝えた素朴な原始宗教の原形は高天原にあり、もちろん太陽信仰だったのです。大国主命に加え、須佐之男命自身もたまに黄泉国から地上に恣意的に出没し、大国主命と同様、各国に文化を伝えます。
須佐之男命は黄泉国と地上世界の両方をまたにかけて活躍しますが、非常に気まぐれな所が難点です。もちろん、両神の働きは現在でも継続しています。
<天孫降臨>
大陸の人民教化が一段落したところで、高天原から天照大御神の御子孫が地上の中心として降臨してくることになりました。天孫降臨です。そこで大国主命は国土を天孫に譲渡し、御皇室を陰から守護する役目に退きます。これが国譲りです。このようにして、天照大御神と須佐之男神の御神業が、更には天孫と大国主命にも受け継がれていきます。
やがて天孫(邇邇藝命=ににぎのみこと)が日本に降り立ち、高天原の神々から授かった神命「豊葦原の水穂の国を安国と平けく治しめせ」にしたがい、地上世界を安穏と暮らせるようにするべく活動を開始いたします。邇邇藝命以降、神武天皇をはじめとする御歴代天皇が綿々とこの御神業を受け継いで現在に至っています。
地上修理固成は最初、伊邪那岐・伊邪那美神というペアの神から出発し、次は天照大御神・須佐之男命に、更には天孫・大国主命というように、段階に応じて受け継がれてきました。換言すれば、伊邪那岐神・天照大御神・天孫の系列(伊邪那岐系)と、伊邪那美神・須佐之男命・大国主命(伊邪那美系)との二つの流れの協力で修理固成が進みます。
ただ残念なことに、後者の系列の伊邪那美神と須佐之男命が途中でやや脱線してしまい、円滑な修理固成に少し支障をきたしているのが実情です。
<世界の宗教と文明は日本がルーツ>
須佐之男命や大国主命を介して高天原文明は大陸に伝わりました。日本にも同じように高天原文明がもたらされましたが、日本の場合には天孫降臨の系統が直接、高天原から持ってきたものです。ですから、外国の文明も日本の文明もルーツはすべて高天原にあります。外国の場合は高天原文明の間接的伝播ですが、日本の場合は直接的な伝承といえましょう。
よしあしは別として、日本には純粋な高天原文明が伝わりましたので、てまえみそのようですが、いわば高天原文明の本家本元ということになります。
有史以来、外国の宗教や思想がとめどもなく日本に流れ込んできました。霊的な背景を見ますと、文明の里帰りという一面があります。大陸系の霊界や文明は自らのルーツを求めて日本に流れ込んでくるのです。本家本元に対する無意識のあこがれがあるからです。
せん望がこうじれば嫉妬(しっと)にもなります。かわいさ余って憎さ百倍という心境が芽生え、これが日本を取り巻く霊的障害になっています。世界をまたにかけて活躍する某民族の行動もその一環ではないかとうわさされています。
<危機に瀕している高天原文化と太陽信仰>
須佐之男命や大国主命が大陸に伝えた宗教は本来、太陽信仰を中心にしたものだったのですが、時間の経過とともに須佐之男命の個性や地域の特性が加わり、最初に伝わった太陽信仰がだんだん骨抜きにされてしまいます。ただ、拝火教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの大陸系宗教などには現在でも太陽信仰の痕跡がかすかに認められます。
同じく日本でも、純粋な高天原文明の本質が徐々に失われかけています。更に外国から移入された文化や宗教が影響し、相乗効果で高天原の教えがなおさらあやふやになりつつあります。
一例が言霊です。漢字といえども、大国主命が伝えた高天原文明の片鱗ですが、漢字が日本に移入されたことにより、日本の神伝の言霊が失われるようになります。言霊が忘れられた結果、古来の神祭の本義までうやむやになろうとしています。その典型的な例が大嘗祭(おおにあえまつり)です。大嘗祭をダイジョウサイと漢読みしたおかげで、祭りのほんとうの意義と御祭神がわからなくなってしまったのです。現在知られている言霊学者のほとんどが漢字の影響を受けていますので、あまり参考にはなりません。
大嘗祭の御祭神は天神地祇≠ニ一般的に伝わっていますが、本来、そんな漠然としたものではありません。明確な御祭神がきちんとあります。祭りの目的も世間でいうように、食糧の恵みに対する単なる食物儀礼≠ナはありません。
大嘗祭は、元来、おほにあへまつり≠ニ読み、その目的は地球の平安≠祈る気宇壮大なものです。御皇室だけの私的なものでもなければ、作物の収穫に感謝する単純な感謝祭でもありません。日本だけのものでもなければ、ましてや右傾思想や国粋主義の専売特許でもありません。全人類を念頭に置いた地球規模の重要な神祭りです。
日本をはじめとする世界各国の安定と繁栄を祈り、実現に向かって努めるのが神の道(超古神道)や大嘗祭の精神です。大嘗祭の精神(世界平和を祈る)をいちばん実践されておられたのが昭和天皇です。それにもかかわらず、日本は太平洋戦争に突入します。なぜでしょうか? 陛下の御心、換言すれば、伊邪那岐大御神や天照大御神の御精神である平和≠ニは、はるかにかけ離れた考え方がまんえんしていたからにほかなりません。なぜまんえんしたのでしょうか?
原因ははっきりしています。日本にいちばん濃密に伝わっていた高天原の思想を日本人自身が忘れてしまったからです。いくら外国の文明が入ってきてもかまいません。日本人がしっかりしていれば問題はなかったはずです。
<太陽神への回帰>
古代、人類に伝わった素朴な信仰は、洋の東西を問わず、太陽信仰が大本になっていました。太陽の恵み(太陽信仰)や御皇室の存在意義、言霊の神秘など、日本が失いつつあるものは、引いては世界の損失にもつながります。
今、人類が高天原文明(太陽崇拝)に再び帰る時がようやく巡ってきています。と申しますのは、地球世界は伊邪那岐大御神、天照大御神、天孫とともに今でも修理固成の完成に向かって歩んでいるからです。・・・以下略(詳細は書籍をお読みください)