ラッキーな人 〜「しのぶもぢずり」考〜
初夏のころになると、道端で目に付くネジバナが可愛いです。
先日、お友達のサイトで、このネジバナに関する記事を読みました。
ネジバナの別名「モジズリ」が、百人一首に詠われている、という説があるとか。
みちのくのしのぶもぢずりたれ故に乱れそめにしわれならなくに
という、有名な一首です。
え、そうだったの? と思って検索すると、ほんと、ネットのあちこちで、
可愛いネジバナの写真と一緒に、この歌が取り上げられていました。
百人一首の解説書では、この「しのぶもぢずり」は、
陸奥の絹織物のこと、と説明されているものがほとんどです。
植物のネジバナと結びつけた説明は、ほとんど見当たりません。
それというのも、「みちのくのしのぶもぢずり」までがひとかたまりで、
「乱れ」を引き出すための序詞とされているからで、「もぢずり」だけを取り出して
植物と結びつけるのは、意味の上からも無理があると思われるからでしょう。
なぁんだ、やっぱり、これは誤解なのか。
と思ったのですが、
じつは、この歌を、ネジバナの写真と一緒に、載せている本が、ありました。
ネットの情報と違って、れっきとした出版物です。
平成4年初版の『野草大百科』(山田卓三監修、北陸館)374ページ、
「ネジバナ」の項に、この歌がとりあげられ、解説として、
「このもぢずりはネジバナであるともいわれるが、ヒカゲノカズラともいわれる。
尾形光琳の筆になる『小倉百人一首歌留多』のこの歌の札には
ヒカゲノカズラの絵が描かれている。」
わぁお!Σ(゚口゚;)// そんな絵があったとは。
う〜ん、いったいどうなっているのだろうと、さらに本を漁っていくと。
『現代語訳 日本の古典3 古今集・新古今集』 大岡信 学研 1981.3.28第一刷 には、
「『しのぶもぢずり』の考証はまだ一定の説がないが」(p.62)
『田辺聖子の小倉百人一首』 S.61.10.30初版 角川書店 では、
「『しのぶもぢずり』はまだ定説はない。」(p.44)
え〜っ、そうだったのか。
それじゃぁ、学校で習っているのは、あくまでもひとつの説にすぎないものなのか!(゚∇゚ ;)
ところで、ここで田辺氏の本を見ていて、初めて気がついたのですが、
この歌、『伊勢物語』にも出ているんですね。それも、冒頭、「初冠」の中に。
全然、思い出せませんでした。( ̄  ̄;)
しかし、『伊勢物語』の中では、しのぶずりの狩衣を着ていた男が、
その衣の裾を切って歌を贈った、とある。
その歌の心が、「みちのくの・・」の歌だった、という話なんです。
当時人気の歌だったからこそ、物語文学の冒頭にも取り上げられたのでしょうけれど、
この物語の流れを見る限り・・・
植物のネジバナが入り込む余地は、なさそうに思えますが、どうなのでしょう。(^^;
「しのぶもぢずり」の歌は、あくまでもネジバナの別名モジズリの、
命名の由来を語る歌ということで、
いいんじゃないかなぁ、と私は思ったのですが・・・(^^;
大岡氏と田辺氏の本を見ていて、気がついたことがもうひとつ。
歌の作者、源融(河原左大臣)のことです。
あ、作者がいたんだ〜、って、おい! って感じで。
歌の本当の意味は、作者に聞くのが一番だ〜、って、無理だ。 ┐(´ー`)┌
大岡氏が、この人のことを「ドンファン的な面を持つ人物」だったようだ、と書いているので、
ふと興味を持ったのですが、和歌に関しては、
『古今和歌集』には2首しかない。(『講談社学術文庫』を参照。)
そのたったの2首のうち、1首が物語りにとりこまれ、百人一首にも入ったのか!
ラッキーな人だ・・・(゚∇゚ ;) と、思いました。
この人関連の歌が百人一首に、もうひとつあるそうです。
やえむぐらしげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり
これは、源融の没後百年も経ってから、荒廃したその邸の様子を詠んだ歌なんだそうで。
荒廃してもなお、その風情がかえって愛されていたとか。
ほ〜。そうだったのか!(゚∇゚ ;)
田辺氏の記述によれば、源融は、出世欲に燃える野心家だったとのこと。
宇治の平等院は彼の別荘なのだそうで(ほ〜。そうだったのか!(゚∇゚ ;))
存命だったときもずいぶん、活躍したようだけれど、
現代になってもまだ、ネジバナの季節になるたびに、歌を思い出してもらえるとは。
もしかしたら作者本人は、ネジバナの花なんか詠み込んだつもりは、
ないかも、しれないのに?( ´艸`)
ラッキーな人だなぁ、と思ったことです。ヽ( ´ー`)ノ
(2008年7月)
他 参考文献:『百人一首』馬場あき子 平凡社カラー新書80 1977.12.8初版
『百人一首必携』 別冊國文學・NO.17 學燈社 S.57.12.10発行
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