(吹く風を心の友と)

〜中原中也 未完詩篇より〜

 

あるとき、ふと詩を書きました。

私はあなたに ただ恕してほしかったのです

ゆるすという字は「許す」ではなく

私はただあなたに 「恕して」ほしかった

悪いのは私

悪いのはこちらだったとしても

それがもうとっくに過ぎたことで

どうがんばっても償うことができないことであるのなら

私はただあなたに 恕してくださいと願うしかなかった

恕すよりほかにどうしようもない

人と人との関係もあるということを

私はただあなたに 分かって頂きたかったのです

 

この詩は、ボツにしました。

(いろいろ、事情があったのです。)

ただ、私が言いたかったのは、私がいつも「ゆるす」ということを、

「許す」ではなく「恕す」と考えてしまう、ということです。

いま、この文を打ちながら、「ゆるす」と書いて変換を押しても、

「赦す」は出てきますが、「恕す」は出てこない。

「恕」という字を辞書でひくと、はじめて「ゆるす」という読みが出てきます。

意味は「おもいやり。いつくしみ。」

「恕す」は、「他人を思いやって、大目にみる。寛大に扱ってとがめない。」

(『漢検 漢字辞典』より。)

 

この字に最初に出会ったのは、中学生のとき。

中原中也の詩の中でした。

国語の教科書に載っていました。

「恕す」という言葉は詩の最後のほうにあって、

そのあとに、あの童顔が、白黒写真で付いていました。

授業中退屈したとき、何度も眺めた、あの顔です。

 

私はなんでもすぐに忘れてしまうので、詩の題名は覚えてませんでした。

ただ、「恕す」という言葉と中也の顔が、セットになって記憶に残りました。

なんという題名の詩か、全体がどんな詩だったかもぼんやりとしたまま、

「恕す」という言葉だけが、しっかりと、私の中に残ったのです。

 

中也の詩は好きだったので、詩集も持っていました。

でも、その中にその詩は、載っていませんでした。

その詩を見つけたのは、最近です。

それは、未完詩篇の中にありました。

 

∞∞∞∞∞∞∞∞

 

吹く風を心の友と

口笛に心まぎらはし

私がげんげ田を歩いてゐた十五の春は

煙のやうに、野羊のやうに、パルプのやうに、

 

とんで行つて、もう今頃は、

どこか遠い別の世界で花咲いてゐるであらうか

耳を澄ますと

げんげの色のやうにはぢらひながら遠くに聞こえる

 

あれは、十五の春の遠い音信なのだらうか

滲むやうに、日が暮れても空のどこかに

あの日の晝のまゝに

あの時が、あの時の物音が經過しつつあるやうに思はれる

 

それが何處か?──とにかく僕に其處へゆけたらなあ……

心一杯に懺悔して、

恕されたといふ氣持の中に、再び生きて、

僕は努力家にならうと思ふんだ──

 

(『中原中也全集 第2巻 詩2』 角川書店より)

 

∞∞∞∞∞∞∞∞

全文引用、お許しを。m(_)m

 

タイトルにかっこ( ) が付いているので、本人が付けたタイトルではないんだと思います。

 

でも・・・

そうなんです。

お気づきだと思いますが、このタイトル。

なんと、似ていることでしょう。

 

私は、たぶんこの詩から、自分のHPタイトルをつけたんです。

タイトルをつけたときは、そんなこと、少しも思い浮かびませんでした。

十五の年の出会いが今まで、意識の奥で生きていたんだと思います。

好きなフレーズだったんです。

 

HPを開いて2年以上経ってから、

突然、ふと気が付いたという。 ・・少し間抜けな、お話でした。

 

(2002年秋)

 

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